2018年7月16日

非日常的日常

 西日本の広域で深刻な水害が起き、たくさんの人が被害に遭った。こんなに広い範囲でほぼ同時に水害に見舞われるようなことは、これまでなかった。集中的な豪雨といい、年ねん被害が大きくなってきている。

 テレビのニュースで被災地の画像を見ると、被害をうけた地域には特徴があるように思う。新興住宅街は別として、過去にも何度か水害が起きたことのある低地に広がる住宅地。このような地域は昔と比べれば近年は治水が良くなっていた。だが、今回は治水ダムや堤防などの想定設計値を超えた大雨だった。いわば、これまでの「常識」を超える雨量だったことになるので、これからは「新常識」が必要になる。

 それに対して、家屋の背後に山裾が迫っているような地域や、谷間に建っていた家屋も被害に遭っている。これらの家は何代にもわたって住んでいたものと思われる。つまり、過去には今回のような災害がなかったことを意味する。ということは、やはり「常識」を超える雨が降ったために災害が起きたのであり、これからは「新常識」で安全を考えていかなければならない。

 最近の気象状況は「過去にない云々」と表現されることが多くなった。おそらく今後は毎年まいとし「過去にない云々」と繰り返されるようになるだろうと思う。ということは非日常が日常になるということだ。そのような自然環境の変化の中で生きていかなければならない。

2018年7月 9日

四半世紀

 オウム真理教の元代表の松本智津夫をはじめ計7人の死刑が6日に執行された。このニュースを知って真っ先に思ったのは「あれからもう四半世紀か」ということだった。

 彼らが犯した犯罪は数かずあるが、1番印象に残るのは地下鉄サリン事件だ。事件当日の朝、当時、勤めていた会社に出勤すると、地下鉄で何か大きな事件が起きて被害者が多数いるらしいという話題で持切りだった。まかり間違えば自分たちの誰かが被害に遭っていたかも知れないのだ。あれから四半世紀が経っても、被害者の人たちは現在も障害などに苦しんでいる。

 宗教は人の心の問題なので、何をもって宗教か宗教でないかを判断するのは難しい。宗教団体がらみの事件は、司直も慎重にならざるを得ないだろう。だがオウム真理教が宗教団体だったのか、それとも宗教を隠れ蓑にした凶(狂)団に過ぎなかったのか。

 不思議なのはあんな「教祖」の下になぜ人が集まったのかである。偏差値の高い大学で学んだような人たちがである。報道の範囲で判断する限り、「教祖」は無責任で小心な臆病者だったのではないか。そして強い劣等感を持っていたのだろうと思われる。劣等感と優越感は表裏の関係であり、劣等感を持っている人ほど尊大に振舞いたがるものだ。

 それにしてもオウム真理教とは何だったのか、彼らが起こした事件の背景などは解明されていない。しかも昨今の風潮をみると、彼らと同じような凶(狂)団が再びできるのではなかという懸念がある。

2018年7月 2日

時間切れ狙い

 ワールドカップ予選リーグ第3戦のポーランド戦は、賛否両論があった。アディショナルタイムを含む最後の約10分間は、0-1での敗戦狙いのパス回しに終始したからである。だがその結果、決勝トーナメントに進むことができた。

 もし、ベスト8進出をかけたベルギー戦に勝利することができれば、ポーランド戦での批判は薄れるだろう。反対に惨敗となると批判が再燃することが考えられる。

 安全なパス回しで時間稼ぎすることも、ルールの範囲内での時間の使い方なので、決勝トーナメントに進むための作戦の一環である。それを批判するのであれば、そもそもスターティングメンバーを6人も入れ替えたことの是非も問わなければならなくなる。決勝トーナメントまで見据えて選手全員のポテンシャルを有効に活かすという点では、パス回しによる時間稼ぎと本質的変わりないからだ。

 いずれにせよ、決勝トーナメントの戦い方も視野に入れて試合ができる水準にまで、日本も成長したということである。これまでは、常にアクセルを目いっぱい踏み込んで走ることしかできなかったのである。

 ところで、時間切れ狙いのパス回しをずっとこの間、見せられていたような気がしてきた。そうだ、モリカケを巡る安倍総理の答弁はまさに時間切れ狙いの無難なパス回しと同じだ。そのことに気づいたら、国会の会期延長に際して麻生副総理が「ロスタイムに下手な失点をしないように」と言った言葉の深~い意味も理解できた。さすがに総理、副総理は日本が世界に誇るツートップだけある。

2018年6月25日

雨期(季)

 日本は現在、雨期(季)の真っただ中である。雨や曇天の日が多く憂鬱な日が続く。毎年のことだが、この時期は苦手だ。

 変なことに興味を持つ癖があって、梅雨と雨期はどう違うのだろうか、といったつまらないことが気になる。そこで広辞苑を調べてみた。簡単にいえば雨期は1年の中で雨(降水)の多い季節で、梅雨も雨期の1つのようだ。しかし、日本ではあまり雨期とは表現しない。ほとんど梅雨といっている。

 雨期というと、どうしても東南アジアなどで雨の多い季節をイメージする。それに対して、やはり日本では梅雨という表現が定着している。

 それにしても今年の梅雨は、ここ数年に比べると肌寒い日が多いような気がする。近年は暑くなるのが早く、5月ごろから夏日がある。その点、今年はここ数年と比べると寒い日が多いが、それでも時どき夏日があったりするので、体調管理には苦労する。昔からこの時期は心身ともに低調になるが、年齢とともにそれが酷くなってくる。それに雨の日には出不精になりがちだ。

 あと約1カ月で梅雨が明け、真夏の太陽を浴びたいと思う今日この頃である。もっとも、そうなったら暑い暑いと文句をいうことになるのだが‥‥。

2018年6月18日

大沼・函館

 先週は新潟、札幌、函館とほとんど出歩いていた。札幌は毎年のようにこの時期に行くが、今回は北海道神宮例大祭だったので中島公園も出店で賑わっていた。それにしても近年になく寒かった。

 札幌からは特急で函館に向かい、途中の大沼公園駅で下車。島巡りの路をゆっくりと写真を撮りながら歩いた。大沼湖と小沼湖を眺めながら列車で通過したことが過去に何度かあり、1度は来たいと思っていたので長年の念願がかなった。

 函館では函館山に登って360度を見渡した。函館山からの景観もさることながら、ロープウェイのさんろく駅から旧イギリス領事館の方に歩いていくと、異国情緒が漂う建物が軒を連ねていて、港町として栄えた昔が偲ばれた。

 翌日は五稜郭に行った。函館駅前から市電に乗り、五稜郭公園前に近づいたので降車ボタンを押そうとしたら、目の前に立っていた70代と思われるおじさんに「どちらから来られましたか」と声をかけられた。地元の人は降車を知らせなくても停まるのを知っているから、降車ボタンを押さないのだという。

 そこで「日野の石田で、土方歳三の生家の近くから」と言おうとしたが止めた。一緒に下車して案内するなどとなりかねない雰囲気だったからだ。先週書いた知覧の武家屋敷でも、武家屋敷のオーナーと称する人から声をかけられ、話が長くて苦労した。

 帰りは新函館北斗から新幹線で帰った。函館を20数年ぶりに訪ねたのも、1度は北海道新幹線に乗ってみようと思っていたからだ。だが、新青森までトンネルが多く、また雪除けなのだろうか線路わきの壁が高く景色がほとんど見えない。

 それにしても新幹線が札幌まで延伸したら、函館はどうなってしまうのだろうか。青函トンネルの計画段階では、距離が短いので東ルート(下北郡大間町~亀田郡戸井町=現函館市)が有力だったようだ。しかし、水深や地質の関係で現在の西ルートになったという。

 都市の栄枯盛衰も時代によってどうなるか分からないものだ。

2018年6月11日

火山灰

 鹿児島市内のホテルで打ち合わせがあった翌日、知覧の武家屋敷まで足を伸ばした。知覧の武家屋敷は10数年ぶりである。この間、鹿児島市内には何度も行っているが、知覧はアクセスの関係でなかなか行けなかった。知覧の武家屋敷は石垣などが独特で、入口の屏風岩や石敢當など、当時の琉球との深い関わりを想わせる。

 帰りの飛行機の時間があるので、午後は早めのバスで鹿児島中央駅に向かった。鹿児島市内が俯瞰できるところまで来ると、市内の上空が薄く煙っている。「風向きによっては桜島山の噴煙で大変だ」、と前日に地元の人から聞いていたので、あれは、おそらく火山灰だろうと思った。

 案の定である。バスが市街地に入ると真昼なのに薄暗い。駐車場に並んでいる自動車を見ると、屋根やフロントガラスに火山灰が溜まっている。テレビのニュースなどで観ることはあったが、火山灰で市街地がこんなになったのを実際に見るのは初めて。これじゃ赤ちゃんなどは大変だ。子供たちだって外で遊べないし、屋外では部活だってできないだろう。

 平野國臣は、「我が胸の 燃ゆる思ひに くらぶれば 烟はうすし 櫻島山」と詠んだが、それに比べると我が憂国などは、とてもとても足元にも及ばないと実感した。なにしろ、市街地でほんの僅かな火山灰を目の当たりにしただけでも、桜島山の噴煙にはとても勝てっこないと怖気づくぐらいだからである。

2018年6月 4日

週刊誌の稼ぎ時

 日大アメリカンフットボール部の反則に端を発した一連の動きは、現在の世の中の実態を実によく反映しているように思える。

 反則場面の動画を見る限り、悪質反則の域を超えて「犯罪」といってもよいほどだ。格闘技でも相手が構えていないのに、しかも後ろから攻めたりはしない。勢いあまってとはいえず、故意にやったと受け止めるのが当然だろう。問題はなぜ? そんなことをしてしまったかである。

 その点、反則を犯した選手の謝罪会見は、行為自体は許されないとしても、学生らしい素直さが窺えた。20歳の若者をそこまで追い込んだのは誰か! また、それを当然のように許していた体制にまでメスを入れる必要があるだろう。

 それに対して前監督とコーチ(その後に辞任)の会見はお粗末だ。監督は自分は反則を指示していないと責任逃れに終始し、保身がありありだった。コーチは前監督のご機嫌をそこなわないようにオドオドしながら前監督を擁護するのに必死な様子だった。
 この光景は、まるでモリ・トモ問題をめぐる国会と同じようだ。官僚は総理を守るために記憶を失ってしまう。会見を仕切った日大の広報担当者の対応からは、官房長官の記者会見に通じるものを感じた。

 いずれにしても週刊誌にとっては稼ぎ時だ。ネタには困らない。週刊誌といえば「週刊文春」は近ぢか大きな独占スクープを放つのではないかと期待している。ほかでもない、文芸春秋社が役員人事を巡ってゴタゴタしているようだ。「文春」なら、他誌には追随できないような真相暴露の記事を独占スクープできるだろう。

 いや、これは「第三者」と称しても、しょせん身内による検証には限界があるという皮肉にほかならない。

2018年5月28日

歌の功用

 5月は夏のような暑い日が多かった。例年並みの気温だと涼しく感じるほどだ。胆石は自然にとれて流れたようで(5月7日づけ)、その後は調子が良かったはずなのだが、今度は気温の変化に体がなかなかついていけない。

 最近は「春バテ」という言葉があるそうだ。春バテの次は「5月病」で、その次は憂鬱な梅雨となり、梅雨が明けると「夏バテ」‥‥と1年中、何らかの理由をつけてはサボってしまいそうだ。そんな中、先日は気分がスッキリするようなことがあった。

 SBSホールディングスの30周年感謝の集いで、谷村新司さんのプレミアムステージがあった。「いい日旅たち」から始まって「三都物語」、その後、「秋止符」など恋の歌のメドレーが続いた。さらに「残照」ではつい涙がこぼれそうになり、「日はまた昇る」や「昴」では勇気をもらった。最後は「サライ」である。

 やはりライブは迫力がある。テレビやラジオ、CDなどとはまったく違う。それにしても、歌の力は凄いと思った。会場には580人以上がいたのだが、みんな谷村さんの歌に集中している。ステージで歌う姿を見ながら、なぜ、こんなにも人を惹きつける力があるのだろか、と考えながら聞き入っていた。

 歌の功用なのだろうか。そんなことで、暑さや湿度の高さにも負けず、明日から頑張るかという気持ちになってきた。「我は行く‥‥」である。

2018年5月21日

記事の真贋

 ネットなどに流れているニュースや情報をまとめて、利用者に検索の利便性を提供しているプラットフォームの運営者が、著作権侵害の無断転載写真やフェイク・ニュースなどをチェックして削除したりするようになった。プラットフォームは利用者からすると便利だが、一方、著作権侵害などは明らかな犯罪だし、意図的にフェイク・ニュースを流す手助けになったりしている。そこでプラットフォーム運営者も責任と信頼を得るためには対応をせざるを得なくなってきたのであろう。

 それにしてもネットは気をつけなければならない。自分の日ごろの経験でもそれを実感する。出稿した記事がオンラインにUPされると様ざまな反応があるが、これは活字媒体よりもすごいことは事実だ。

 だが、ツイートの中には、記事の内容を正確に理解していないで「反論」や異論を述べている人が多い。「批判」は大いに結構だが、良く読んでからにしてよ、と苦笑するしかないようなピント外れの意見が実に多いのである。ひるがえってみると、これは「いいね」ボタンを押してくれた人たちにも当てはまるだろう。良く理解しないで「いいね」といってくれる人の割合も高いことを自覚しなければならない。

 このようにみると、意図的にフェイク・ニュースを流して世論操作しようとする者にとってはネットは便利だし、軽く操作できる人たちが多いことになる。ネットに流れている「情報」の真贋を見極める力が必要だ。

2018年5月14日

テレビ視聴

 最近はNHKが面白い。録画してまで観ることはないが、その時間に家にいるときには必ず観るテレビ番組がある。そのほとんどがNHKである。

 日曜日の「笑点」は日本テレビだが、それ以外は月曜日の「鶴瓶の家族に乾杯」、木曜日の「日本人のおなまえっ!」、金曜日は「チコちゃんに叱られる」と「岩合光昭の世界ネコ歩き」(BS)、土曜日の「ブラタモリ」だ。
 「ブラタモリ」は冠番組の通りタモリさんでなければ成り立たない番組である。マニヤックと思えるほどの知識が番組を面白くしている。「家族に乾杯」も鶴瓶さんの人なつっこいキャラクターが生きている番組だ。「おなまえっ!」のMCは古館さんである。ニュース番組では、特にインタビューなどのときに背伸びしているように感じられたので観なくなったが、当番組のような内容には向いている。
 ところで、この時期は3月決算の結果も出そろい、役員人事の発表も多い。仕事の関係もあるので、物流以外の業種でも大企業の新社長就任などに一通りは目を通す。だが、今年はこれまでとは違った見方もしている。それは「日本人のおなまえっ!」の影響である。意識して新社長や役員人事のリリースを見ると、日本には実に多様な苗字があることに気づき、改めて驚いた。これは新しい発見ともいえる。
 「ボーっと生きてんじゃねぇよ!」と叱られないように、様ざまな見方ができるように精進しなければならない、と思うこの頃である。

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