2022年11月21日

天高く物価高騰の秋

Photo_20221117072901 (陣馬高原下バス停前=東京都八王子市)

 正に「天高く物価が高騰する秋」である。1人だけの会社だが事務所を閉鎖して「在宅勤務」するようになって約2年半になる。そのため最近は近くのスーパーに買い物に行く機会が増えた。春先も物価高騰を感じたが、秋になってからは食品をはじめ消費財の大幅な価格高騰を強く実感するようになった。これでは、収入が増えなければ生活がたまらない。

 総務省の発表では、10月の消費者物価指数(生鮮食品を除く)は前年同月比で3.6%の上昇。この上昇率は1982年2月以来、40年8カ月ぶりという。40年前に18歳だった人でも現在は58歳になる。つまりもう少しで還暦だ。したがって多くの人が初めて経験する消費者物価の高騰といえる。

 原材料価格の高騰にはコロナや国際情勢などの要因があるが、そこに加えて円安である。日銀は金融緩和策を続ける方針のようだが、ここで金融引き締めに転じたら、約10年間に及ぶ「アベノミックス」の失敗を正式に認めるような結果になってしまう。それに金利の引上げに転じたら、この間のあらゆる金融政策の歪が一気に噴き出してくる。日銀の実態は「引くに引けない」というところまで追いつめられている、といえるだろう。

 黒田日銀総裁の任期も半年を切った。中国の習近平主席のような3期目はないだろうが、大変なのは後任の日銀総裁である。ここまで金融政策が歪められてしまっていては、正常な軌道に戻すのが大変だ。つまりアベのミクスの「尻ぬぐい」から始めなければならず、金融政策を正常な軌道に戻すだけでも、かなり長い期間が必要になる。その間、日本経済は厳しい状態が続くだろう。我われの生活も同様である。スタグフレーションの泥沼にはまらなければ良いのだが。

2022年11月14日

宇宙時間

Photo_20221111185601 弘前城天守閣(工事中のため仮天守)から岩木山を臨む=青森県弘前市

 もう11月も中旬になってしまった。2022年はまだ1カ月半ほど残っているが、今年も早かったな、といった気持が日増しに強くなってくる。すでに1カ月も前から来年の手帳は買ってある。そして来年1月から12月までのレギュラーの仕事の予定(原稿〆日など)は記入した。

 毎年の年中行事のように「1年が経つのは早い」といっている。だが、そもそも人間の一生など宇宙の時間からするとほんの一瞬に過ぎないものだと先日の皆既月食で実感させられた。11月8日に皆既月食中に月の後ろに天王星が隠れる天王星食が同時に観られた。日本で皆既食と惑星食が同時に観られるのは442年ぶりという。前回は1580年なので安土桃山時代ということになる。次は322年後の2344年に、皆既月食中に月の後ろに土星が隠れる土星食が同時に観られると予想されている。

 ということは、現在、生きている我われは考え方によっては実に幸運な巡り合わせといえる。前回は1580年に生きていた人たちしか観ていないのだし、次回は2344年に生きている人たちしか観ることができない。もっとも2344年まで人類が生存できていることが前提だが‥。それはともかく、これが宇宙時間ということなのだろう。

 このように宇宙の歴史からすれば人間の一生など実にはかないものだ。はかない人生ではあっても、来年ももうひと踏ん張りするか! おっと、その前に年内に仕上げなければならない仕事がまだまだ残っていたっけ。

2022年11月 7日

時の移ろい

Photo_20221103165901 (斜陽館=青森県五所川原市)

 太宰治の生家「斜陽館」に行った。1907年に建造され、現在は国の重要文化財建造物に指定されてる。今から115年も前に建てられたのだから、かつての津島家の栄華を実感させる。

 だが、津島家の繁栄は多くの小作農の年貢によって成り立っていたというのも事実だ。斜陽館を見学しながら、ここで生活していた津島家の人たちと、当時の小作農の人たちのくらしを想像・比較してしまう。一所懸命に働いてやっと年貢を納めたら、間もなく厳しい冬が訪れる。小作農の人たちは豪雪の冬にはどのようにして暖を取りながら過ごしたのだろうか…。

 その津島家も戦後、この豪邸を手放すことになった。斜陽館のパンフレットによると、1948年に角田氏が住宅として購入。同氏は1950年に旅館「斜陽館」として開業し、その後、1976年には黒滝氏の所有に移る。だが、多数の太宰ファンが宿泊したという斜陽館も旅館としての歴史は46年間で幕を閉じ、1996年に旧金木町(現五所川原市)が買い取って現在は太宰治記念館「斜陽館」になっている。

 太宰は1948年に39歳で没したが、前年の1947年に「斜陽」という中編小説を発表している。それによれば時代の流れ、社会の変化を敏感に感じ取っていたのだろうと思う。だが太宰にとって、時の移ろいは同時に自分のサライの喪失を意味する。人間の心理は複雑だ。小説の「斜陽」から旅館名にしたというが、「斜陽館」とは感慨深い。

 入館前に写真を撮った時には夢中で気づかなかったのだが、帰り際に写真を撮りながら訪れる前に想像していたのとは逆だったことに初めて気づいた。館内を見学している間に時間が経過し、太陽の光の角度が傾いていたからだ。この豪邸は西側に面していたのか、と。

2022年10月31日

キャンセル

Photo_20221027210601 (松本城=長野県松本市) 

 最近は何でもデジタルで大変だ。自分からすると便利どころか、むしろ不便な面もあるくらいだ。小売店や飲食店でいえば、従来は店の側が行っていた行為の一部をタブレットなどを介して客にさせている面がある。行政手続きでも、デジタル化の推進などと声高に叫ぶ政治家がいるが、本来はサービスを享受する側のタックスペイヤーに行為の一部を負わせるようになっている。パソコンやタブレット端末、最近はスマフォをツールとしているので、いかにもIT化であるかのように錯覚させるが、利用者への負担の転嫁という側面があることは否定できない。

 出張先の宿泊をネットで予約した。これはいつものことなのだが、今回、初めてホテルの予約をキャンセルすることになった。といってもスケジュールの変更ではない。あらかじめ予約したホテルに泊まるのだが、安い方に替えたのである。

 講演会場になっているホテルに、当日夜の宿泊をかなり早くネットで予約した。ところがその後、セミナーの主催者から、もし会場になっているホテルに宿泊するのであれば当方から予約を入れましょうか、というメールが来た。そこに書かれていた金額は、自分で予約した金額よりも安い。しかもそれ以外にいくつかの特典がついていた。そこでセミナーの主催者から予約を入れ直してもらうことにしたのである。ただし、紹介サイトとホテルとの契約上、ネットで予約したものは本人がキャンセルの手続きをしてください、とのことだった。キャンセル料が発生する以前なのでキャンセル料はかからない。

 そんなことでネットでキャンセル手続きをしなければならなくなった。20年ぐらい前から出張その他の宿泊予約はネットでしているが、キャンセルの手続きは今回が初めてである。そのためキャンセル完了までの手続きが大変だった。IDやパスワードなどすっかり忘れている。あれこれ思い出しながら入力してもエラーで何度もやり直し。不慣れなことが一番の原因だろうが、予約の手続きは比較的簡単にできるが、キャンセルの手続きは難しい仕組みにしているのではないか、などと疑ってしまう。

 それでも1時間以上かかって、やっと「キャンセル確認メール」がきた。何かと生きづらい世の中になってきたものだ。

2022年10月24日

ウソが許される人と許されない人

Photo_20221020154301 (熱田神宮=名古屋市熱田区)

 テレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」のレギュラーコメンテーターの玉川徹さんが番組中に事実に基づかない発言をした問題が、その後も尾を引いている。まぁ、虚偽の発言をしたのは事実だし、ウソがいけないことは言うまでもない。だから本人が番組で訂正して謝罪した。だが、それだけではダメだ、許せないという「厳格」で「正義感」の強い人たち?  がいる。

 玉川さんの問題発言は、番組で安倍晋三元首相の国葬に関するテーマを採り上げている時のものだ。その安倍元首相は2019年11月から2020年3月の間に、国の最高機関である国会において118回の虚偽答弁をしたことを衆院調査会が認めている(2020年12月21日)。このようにたくさんウソをついた「偉大な功績のある方の国葬」に関連したコメントで、事実ではない発言をしたといって批判されているのだから皮肉なものだ。

 もちろんウソの発言がいけないことは当然だ。では、玉川さんを批判する人たちは安倍晋三元首相の国会における虚偽答弁についてはどのようにお考えなのか? その当時、国会における虚偽答弁に対して、どれだけ批判したのか。まさか、国会におけるウソ答弁よりテレ朝の一番組での根拠のない発言の方が大問題だ、という認識なのではあるまい。

 それに虚偽の発言などをして後でバレても「お詫びして撤回する」と頭を下げれば、それで「禊が済んだ」と堂々と「公務」に邁進? しているセンセイ方も国会にはたくさんいる。それらのセンセイ方はどうなのだろう。どうやらウソが許される人と、許されない人がいるようだ。

 5年半前になるが2017年5月に「羽鳥慎一モーニングショー」に30分ほどライブで出たことがある。控室での事前打ち合わせの時に、「当局の社員なのですが玉川徹というコメンテーターがいます。偉そうな態度で失礼なことを言うかも知れませんが気にしないでください」とディレクターに言われた。その時、面白そうだと感じたことを思い出す。毒舌も含めて批判的精神はテレビ番組に必要と思っているからだ。それに訂正して謝罪したのだから、玉川さんはこれからも従来通りコメンテーターを続ければ良い。

2022年10月17日

大須観音と若き日のY君

Photo_20221012132301 (大須観音=名古屋市中区)

 名古屋の栄にあるホテルに2泊したので、初日の夕方、久しぶりに「プリンセス大通り」から若宮大通を渡って大須観音に行った。記憶が定かでないが、プリンセス大通りを歩いたのも大須賀観音に行ったのも10年数年ぶりだと思う。

 昔の話だが35年ぐらい前に、プリンセス大通りと若宮大通が交差する近くに1年半ほどいたことがある。といっても月のうちの半分は名古屋で、半分は東京という生活だった。そのような生活を1年半ほど続けたのである。その当時は、プリンセス大通りを栄の交差点までよく歩いたものだった。その後も名古屋には何度も行っているが今回は栄の近くのホテルに泊まったので、チェックインしてから懐かしくなって大須観音まで歩こうと思ったのである。

 ところが道に迷ってしまい、いくら歩いてもプリンセス大通りが見つからない。半ばあきらめてホテルに帰ろうとしていたら「プリンセス大通り」と書かれたアーチが目に入った。大須商店街も懐かしかったが隔世の感がある。

 約35年前に、大須のアーケード街でY君と偶然に会った。Y君は写真家で、若い時には都内に住んでいたので、お互いのアパートを行き来して語り合った仲だった。その当時、彼が写真を、自分が文章を担当して将来は「み撮りある記」の連載をしようと話したことがあった。小生の結婚式の案内状に使った写真は、彼が撮ってくれたものだ。その後、Y君は諸般の事情で出身地の京都に帰ったので、一緒に仕事をすることは叶わなかった。交流もほとんど途絶えていた。

 大須のアーケード街で偶然に再会したのは自分がちょうど名古屋にいる時で、彼は猿回しの大道芸人に同行して写真を撮りながら全国を回っている途中に名古屋に来たからだった。その偶然の再会が彼との最後になってしまった。Y君はそれまでに写真集を2冊出版していたが、30代半ばでガンのために亡くなってしまったからだ。早世した彼を偲んで、写真の先生や仲間たちが残されたネガから編集して出版した遺稿集が3冊目の写真集となった。

 Y君が亡くなってしばらくしてから、仕事で京都に行った機会に線香をあげに彼の家に寄ったのだが、奥さんが仕事で留守だったのでメモを残して帰ってきたことがある。夕暮れのプリンセス大通りを歩きながら、Y君と語り合った若い日のことを懐かしく思い出した。

2022年10月10日

寒い、寒い

Photo_20221008080001 (名古屋城=名古屋市中区)

 夏のような暑さから一気に冬のような寒さになった。近年は毎年のように秋らしい季節がなく、夏からすぐ冬になる感じだ。「秋らしい清々しい1日」といった定番の形容詞を使う機会がほとんどない。

 困るのは服装だ。急に寒くなると今日は何を着ようかと迷ってしまう。夏服では寒すぎるし、そうかといって冬服を着るにはまだ早すぎるのではないかという心理的な躊躇いがある。そんな日には街でも、半そでの人もいればコートを着ている人もいるなどバラエティーに富んでいる。日本もニューヨークなみになってきたな、などと変に感心したりする。

 クリーニングも困る。当社は1人だけの会社だが、事務所を閉鎖して「在宅勤務」にしてからクリーニング店に洗濯物を出す回数が極端に減った。たとえばスーツにしても着る機会が少なくなり、コロナになってからは1シーズンに数回しか着ない。夏物のスーツも1着あれば大丈夫だ。そのため夏物にしても冬物にしてもクリーニングに出して引き取ってから、「在宅勤務」の2年余の間に1度も着ていないスーツがある。

 そのような中で、今年の夏に着たスーツなどをクリーニングに出すべきかどうか。また、暑さが戻るかも知れないので、クリーニングに出すのはもう少し待とうかと迷ったりもする。

 それに何より急激な気温の変化に体がなかなか付いていけないのが困る。まぁ、これは年齢のせいかも知れないが‥‥。

2022年10月 3日

救急搬送

Photo_20220930152301 (神田明神=東京都千代田区)

 最近は救急車のサイレンをよく聞くようになった。また、救急搬送しているところも頻繁に見かける。コロナの影響で救急搬送の回数が増えているのだろう。それだけでなく走行距離が伸びていることも目にする機会が多くなっている理由と思われる。

 実はわが家も救急車のお世話になってしまった。上さんが仕事中にケガをして救急搬送されたのである。といっても左腕の骨折だけですんだので、まずは一安心だった。

 夕方の6時過ぎに救急隊員から電話が入り、受け入れてくれる病院を探しているがなかなか見つからない、とのことだった。その後も電話があり、コロナ等により受け入れ病院がまだ見つからないので、場合によってはかなり遠くの病院に搬送することになるかも知れないという。やがて、最初の電話から約40分ぐらい経って、受け入れてくれる病院が決まったので、その病院にすぐに向かってくれとの連絡が入った。病院が見つからずに何時間も救急車の中で待機しなければならない、といったニュースを聞いたりするが、本当に大変なんだなと実感した。

 搬送された病院はモノレール、電車、バスを乗り継いで行っても1時間程度、車なら30分ぐらいの所にある病院なので、まずまず良かった。病院では4時間ぐらい待たされたが、その間にも消防庁の救急隊員の姿を病院内で何度か見かけた。これでは救急車のサイレンを頻繁に耳にするのも当然だなと思った。救急患者を受け入れる病院側もコロナ以降は過重労働になっているだろうと実感する。

 だが、コロナ感染防止のために、入院してからは退院するまで誰も面会ができない。今までメールなどしたことがないが、携帯のメールでやり取りすることになった。そのような意味では便利になったものだ。

2022年9月26日

古墳群

Photo_20220923073701 仁徳天皇陵古墳=大阪府堺市

 17日(土)から19日(月)の連休中に台風14号が日本列島を縦断した。さらに1週間後の23日(金)から25日(日)の連休にも台風15号が来襲して被害をもたらした。これも地球温暖化が影響しているのだろう。

 20日と21日は関西に出張する予定だったので新幹線が運休にならないかと、台風14号の進路が心配だった。幸い20日は自分が利用する各交通機関は朝からほぼ平常運転だったので予定の時間に目的地に着くことができた。その後のスケジュールも帰りの新幹線に乗るまでは順調だった。

 20日はセミナーの会場になっていた道頓堀のホテルに泊まり、21日は堺市に行ったので朝少し早く出て百舌鳥駅で降り、仁徳天皇陵古墳にいった。百舌鳥古墳群ビジターセンターでレンタサイクルを借り、仁徳天皇陵古墳の外周を一回りした。中はさっぱり見えないが、それにしても広大だ。

 堺市には何度か行っているが古墳は初めてである。仁徳天皇陵古墳からは大仙公園を歩いて横断し、履中天皇陵古墳にも行った。この近くにはいたすけ古墳、御廟山古墳、ニサンザイ古墳、反正天皇陵古墳がある。さらに、規模は小さくなるが永山古墳、丸保山古墳、グワショウ坊古墳、孫太夫古墳、竜佐山古墳、その他にも多数の古墳が近くに集中して存在する。今度は遊びで時間をかけて古墳周りをしてみたい。

 だが、取材を終えて新大阪駅からの帰りは新幹線が遅れて大変だった。当初は新大阪駅の発車が何時になるか分からないとのことだったので、予約していた新幹線では東京に着くのが深夜になってしまうかも知れない。そこで自由席なら構わないので、順番からすると一番先に新大阪を発車するはずの新幹線の自由席に座って2時間以上も待っていた。運行が再開されるとやはりその列車が最初に新大阪駅を発車し、東京駅には2時間以上の遅れで着いた。すると特急券に赤い文字で「遅払証」とプリントされて自動改札機から戻ってきた。特急料金が払い戻されるらしい。だが当日は早く帰ろうと手続きはしなかった。

 翌日も外出したので、そのついでにJR駅のみどりの窓口に持って行った。ところが、予約していた新幹線は2時間以内の遅延だったらしい。チケットにはその列車番号が印刷されている。新大阪駅を一番早く発車した列車の自由席に乗っていたので遅れが2時間を超えていた。だが、徐々に遅れを回復し、予約していた列車は東京駅への遅着が2時間を切っていたらしい。そのため払い戻しの対象にはならないとのこと。まぁ、今回はいろいろあった出張だった。

2022年9月19日

カメラ代替

Photo_20220913164201 (富岡八幡宮=東京都江東区)

 一眼レフカメラを代替えすることになってしまった。これまではニコンD3を使っていたのだが、最近はあまり使用しなかったのでメンテナンスをしてもらおうとニコン イメージング ジャパン プロサービス センターに連絡したら、D3のサービスはもう終了したとのこと。そこで代替えすることにした。

 ニコン一眼レフの現在のフラッグシップ機はD6なので、D3は3代も前のカメラになる。D3が発売されたのは2007年で、購入したのは翌2008年だった。14年も使っていたのだから仕方がない。だがD6は高価なので、今回はD850に代替えすることにした。最近はミラーレスも使うようになり、以前より一眼レフを使う機会が減ったからでもある。ここ2、3年はA4の冊子で見開きで使う写真をミラーレスで撮ることもある。

 このように昨今はミラーレスを使う機会が増えてきた。また、鞄にはコンパトデジカメをいつも入れている。Webマガジンに出稿する原稿に添える写真は全部コンパクトデジカメで撮ったものを使っている。また、当コラムも今年から写真を挿入するようにしたが、当コラムに掲載している写真は全部スマフォで撮ったものだ。取材などで訪ねた先々で、その近くに少し寄り道して当コラム用に撮っている。基本的には1カ月以内ぐらいにスマフォで撮った写真を採用し、ずっと以前に撮った写真を掲載した場合は撮影年を入れるようにしている。

 そんなことで最近は一眼レフを使う機会が減ったのだが、一眼レフで撮った方が良い仕事も少しあるので代替えすることにした。それにしても予想外の出費だった。少しでも早く元を取らなければならない。

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