2018年11月19日

学生コンペ10年

 このコラムは2012年1月9日から書き始めて、毎週月曜日に更新してきた。コラムを書こうというそもそもの動機は、その前年の東日本大震災だった。大震災の悲惨さにも大きな衝撃を受けたが、人間なんていつどうなるか分からないものだと実感した。そこで、何でも良いから書き残しておこうと思ったのである。

 したがって年が明けたら当コラムは9年目にはいる。その中で過去に3回も書いたテーマがある。それは物流関連ゼミ学生による研究発表会だ。これはNS物流研究会が主催するものだが、同研究会のルーツは2006年までさかのぼる。06、07年の約1年半にわたって国交省がおこなった「若手経営者等によるトラック事業の未来を語る会」の委員を委嘱されたメンバーが、その後、自主的に発足した任意団体がNS物流研究会だ。自分もメンバーなので、どうしても採り上げたくなってしまう。

 研究会ではメンバー企業を相互訪問するなどの研修をしてきたが、2009年に物流を学ぶ学生に研究成果を発表する場を提供しよう、として始めたのがこのコンペだ。以来、毎年開催してきて今年は第10回目になる。

 今回の参加校は10校で、発表順に目白大学、朝日大学、城西大学、同志社大学、東京都市大学、大阪産業大学、東京海洋大学、流通科学大学、神奈川大学、北海商科大学である。審査の結果、優勝は神奈川大学(齊藤ゼミ)、準優勝が東京海洋大学(黒川ゼミ)、敢闘賞が北海商科大学(相浦ゼミ)となった。

 このコンペに参加した学生の中からは、物流企業に就職する学生の割合が年ねん増えてきた。喜ばしいことである。

2018年11月12日

時空を超えて

 3泊4日でホーチミンにいってきた。同市の郊外にある日系企業2社(3カ所の倉庫)の視察である。両社は、日本の国内市場が縮小する中で、海外に進出する必要性を強調。進出先としてアジア各国を比較分析した結果、ベトナムにしたという点が共通していた。

 ホテルから視察先への移動中にみる街中は、バイクが多く、日本と比べると一見、無秩序だが、いまの日本では失われてしまった活力を感じた。若い人たちが多く、今後の発展が期待できる。

 クチトンネル歴史遺跡と戦争証跡博物館も見学した。いずれもベトナム戦争という重い歴史を物語るものである。思えば自分の青春時代は、連日のように新聞やテレビでベトナムの戦況が報じられていた。あれから約半世紀。展示品などを見ていると自分の半生も含め、50年という時空を超えて複雑な思いがこみ上げてきた。

 とくに博物館の枯葉剤の被害の写真などは、広島平和記念資料館と同様に直視することができなかった。そのような中で、昨年8月21日の当コラムに書いた(視線の先に)、沢田教一さんの「安全への逃避」が展示されているのをみて、なぜかホッとするものがあった。

 時空ということでいえば、成田~ホーチミンは片道約6時間の旅。機内食を食べる以外はアイマスクをして寝転び、できるけリラックスするようにしていた。すると、いろいろな考えが浮かんでくるものだ。前回の出版は昨年の1月なので約2年が経ってしまった。そろそろ何か書きたいなと企画していると、テーマが2つ浮かんできた。そこで来年はなんとか2冊書いてみようという気になってきたから不思議だ。

2018年11月 5日

「自己責任」

 2015年6月にシリアで武装勢力に拘束された安田純平さんが解放されて帰国した。案の定、「自己責任」論が沸騰してきた。だが、安田さんに対する賛否の立場のいかんに関わらず、「自己責任」を表面的に論じているように思える。

 まず、確認しておくべきなのは次の2点である。1つは、ジャーナリストなら規制された場所でも行って取材したいと思うのは当然だ。また、それが仕事でもある。一方、2つめは日本政府の立場である。たとえ思想信条などが違っても、自国民を保護する責任がある。

 そこで「自己責任」論だが、一般的にジャーナリストは権力に批判的な立場の人が多い。つまり、政府にとっては煙たい存在である。そのため政権寄りの人たちは、「自己責任」論という切り口から、政権に批判的な人たちを、ここぞとばかり攻撃する傾向が強い。

 自分はこのような立場からの「自己責任」論には与しない。だが、ジャーナリストとしての自己責任というのはあると思う。今回の場合なら、武装勢力に拘束されるだけでなく、最悪のケースでは「死」も予想される。安田さんはそれを覚悟の上で自分の判断で行ったのだろうと思う。それに対する自己責任はあるはずだ。

 武装勢力に拘束されていた約3年間の経験を、当然、発表するだろう。その際には、自らは触れたくない不都合な事実についても、追加取材をして客観的に書いてほしい。

 たとえば、今回の開放で身代金が払われたのかどうか。支払われなかったとしたら、どのような情勢の変化で、どのような経緯で解放されたのか。名目は別として実質的な身代金が支払われたのであれば、誰がいくら支払ったのか。その身代金は最終的に誰がどのような名目で負担することになるのか。

 この問題に対する関心は高いはず。1番多くの関連情報を持っている安田さんが、報道することがジャーナリストとしての自己責任ではないかと思う。

2018年10月29日

事実は小説より…

 世の中には不思議なことがあるものだ。最近の事件では、積水ハウスが55億円を騙し取られたという詐欺事件もその1つ。東京の五反田駅から徒歩数分の所に「海喜館」という古い旅館があり、その約600坪の土地を巡る詐欺事件だ。

 都内では便利な立地条件でこれだけのまとまった土地はほとんどなく、報道などによると地価は100億円ともいわれている。デベロッパーとしてはマンションなどを建てて稼ぎたいという気持ちが強いことは理解できる。

 だが、驚くとともに不思議なのは、金額もさることながら、それ以上に被害者の積水ハウスが不動産の会社であることだ。素人が詐欺に遭うのは分からないでもない。だが、不動産登記などに関する専門家が社内、社外にいるはずの大企業が、まんまと詐欺に引っかかるとは考えにくい。

 ネットなどでは憶測も含めて様ざまな裏話が流れている。その1つによると、担当部署よりも先に経営トップの決済があって進められた話という説もある。真偽のほどは分からないが、結果的に詐欺にあったことは事実だ。

 いずれにしても大手不動産会社を騙したのだから、地面師たちはプロ集団として「みごと」という皮肉も言いたくなってしまう。だが、地面師たちにとっての「リスクと採算」はどうなのだろう。1つは逮捕されて起訴になり、有罪になった時の刑期。もう1つは騙して取った金はどうなるのかである。刑期も短く、金も上手に資金浄化できるとすれば、「費用対効果」があるといえる。

 ともかく小説の世界のようだ。いやいや、「事実は小説よりも奇なり」という言葉があった。

2018年10月22日

電子決済

 来年10月から消費税率を10%にするという。景気への影響をできるだけ緩和しようと、いろいろな対応策が考えられている。中小小売店でキャッシュレス決済をした客には、一定期間ポイント還元する、という案もその1つだ。だが、これには与党内でも様ざまな意見があり、どうなるかは分からない。

 電子決済ということでいえば、10月16日の下野新聞(Webで閲覧)に面白い記事が出ていた。日光二荒山神社では、スマホでさい銭が支払えるシステムを導入したというのだ。東京都内の神社などでは初詣など特定の日だけ電子マネーでさい銭が奉納できるようにすることはあるが、恒常的なシステムの導入は全国で初めてという。

 仕組みはQRコード付きの看板を設置し、参拝者はスマホで読み込んでアプリからさい銭の金額を選ぶというもの。100円、1000円、1万円の3種があるが、その他の金額を自由に設定もできるようだ。同神社では境内の9カ所にQRコード付き看板を設置したという。

 こうなると「さい銭泥棒」もキャッシュレス化という新時代に対応しなければならない。たとえば境内に偽のQRコードを設置して、偽の口座にさい銭が入るようにするのも方策の1つではないか。どれが本物でどれが偽物のQRコードかなど、一見しただけでは分からない。

 そこで、笑点の三遊亭小遊三さんに伺いたい。これって、さい銭泥棒のイノベーションでしょうか?

2018年10月15日

51年後の「瞳」

 仕事で高松に行った翌日、高松港から小豆島の土庄港にフェリーで渡った。小豆島で1泊して、フェリーで福田港から姫路港に行き、姫路から新幹線で帰ってくるという日程だ。

 小豆島を訪ねたのは51年ぶりである。むかし若い時に大川郡志度町(現在はさぬき市)に約3カ月ほどいたことがあった。その時、小豆島に行き寒霞渓や苗羽小学校田浦分校(現在の映画村にあるセットよりも1つ手前のバス停)などを周った。

 土庄港に着くとあいにくの雨だった。寒霞渓に行きたかったが、バス案内所で聞いたら、この時期は土日しかバスが運行されていない。10月19日から秋の観光シーズンで毎日、運行するという。「草壁港までバスで行って、そこからタクシーで行けるが、この天候ではおそらく何も見えませんよ」というので断念。小豆島オリーブ公園に行くことにした。

 雨が酷いのでオリーブ公園内の建物に入って傘をたたんだ瞬間、スマホが鳴った。なんと、松山の友人からの電話だ。いつも四国に来る時には知らせるのだが、友人がけがをしてリハビリ中なので今回は連絡しなかった。だが、偶然の電話で、これには驚いた。

 その後、二十四の瞳映画村に周った。岬の分教場(セット)の教室で小さなイスに座り、黒板などを写真に撮ることにした。これはカラーではなく、光のグラデーションだけで表現した方が良いなとカメラをモノクロにセット。

 ファインダーを覗いていると、ふっと、今の自分の瞳は51年前と同じだろうか? という問いが頭に浮かんだ。しかし、答えは分からない。ともかく、まだまだ夢を追い続けようと自分に言い聞かせながら、何度もシャッターを押した。

2018年10月 8日

成行き

 先週の後半は福岡、鹿児島、宮崎(都城)と周った。台風24号が過ぎたばかりなので天候は大丈夫と思っていたのだが、早速、台風25号が来襲。あれこれ嘆いてもしょうがないので、成行きと覚悟を決めて出発した。

 福岡は取材の後、友人と食事をして1泊だが、小雨に見舞われた1日だった。翌朝は新幹線で鹿児島に向かうも、やはり台風の影響で天候は良くない。だが、到着後はホテルでセミナーと懇親会、そのまま宿泊なので天候には左右されなかった。それでも夜間は風と雨の音が強かった。翌日は鹿児島中央から特急で都城へ。台風の影響を免れることはできないが、都城島津邸を訪ねたころは小雨が降ったり止んだりだったので助かった。

 自然現象だけはどうしようもない。福岡で取材した企業はJRの冷凍コンテナを1番数多く保有している。先の集中豪雨で山陽本線が不通になってコンテナ輸送ができず、やっと再開するという当日にまた台風で再開延期となり、トラック輸送での対応を余儀なくされた。

 緊急対応ということでは、九州に出張する前々日に、神奈川県の川崎市で取材をし、次の取材先である都内江東区に車で向かう途中に羽田空港のそばを通った。見ると屋外にブルーシートをかけて荷物が並んでいた。聞くところによると、関西空港に輸入されていた荷物が、暫定的に成田と羽田に持ち込まれている。だが、即時に捌ききることができずに何日間か滞留しているのだという。

 自然現象はコントロールできない。成行きと覚悟しなければならないが、「成行き任せ」では他力本願になってしまう。そこで「成行き対応」ということになる。

2018年10月 1日

間服と肩こり

 昨年は10月になっても暑い日が続いたように記憶している。今年も同じように暑い日が長く続き、夏から一気に冬になったように感じるのだろうと予測していた。だが、9月中旬を過ぎると朝夕などはけっこう涼しく感じる日も増えてきた。

 もちろん、まだまだ暑い日もあるが、それでも7、8月とはかなり違う。今年はここ数年より寒くなるのが早く、冬が来る前に、秋らしい日があるのだろうか。

 この間ずっと、夏物のジャケットを着ていたのだが、9月も終わりになってからは、涼しく感じる日には間服のスーツを着ることもある。ネクタイはまだしないが、それでもスーツは夏物のジャケットより肩こりがする。

 夏物を着ている間は、万年筆ケースや名刺入れなどをカバンに入れて持ち歩いていた。しかし、スーツになると上着のポケットに入れる。長年の習慣で、何はどこのポケットと決まっている。そのため上着が重くなり、ノーネクタイでも肩こりがするのである。これでネクタイを締めるようになったらどうなるのだろうか。この先が思いやられる。

 反面、スーツにネクタイの方が、何となく気が引き締まるように感じるから不思議だ。長年にわたって、そのように慣らされてしまったのかも知れない。考えてみると、哀れなものだ。

2018年9月24日

向島百花園

 向島百花園(東京都墨田区)に初めて行った。行ったというよりも、立ち寄ったといった方が良いだろう。それにしても、まいった!

 墨田区堤通の、ある運送会社を取材で訪ねた。最寄り駅は東武伊勢崎線(スカイツリーライン)の東向島だ。東向島駅から取材先に向かって歩いて行くと、ちょうど中間ぐらいのところに向島百花園がある。そこで、取材が終わった帰りに立ち寄ったのである。

 入口のところに入場料が一般・個人150円と書いてあった(それしか見なかった)。小銭がなかったので千円札を窓口に出したのだが受け取ろうとしない。あれ? と一瞬の間があった。すると窓口の女性の人が、何か言いにくそうにしている。こちらも、よくわからずに不思議がっていると、印刷した紙を示しながら、小さな声だったので正確には聞き取れなかったが、おそらく「失礼ですが、こちらに該当しませんか」といったのだと思う。

 そこで紙をみたら、要するに60歳以上は無料と書かれてあるように観えた。観えたというのは、あまりはっきり読んだわけではなく、瞬間的に「あぁ、そういうことだったのか」と解釈したからである。そこで「ありがとう」といって千円札を引っ込めて園内に入った。

 パンフレットによると、向島百花園は文化・文政期(1804~1830年)に骨董商を営んでいた佐原鞠塢(きくう)によって造られた庭園とある。1938年(昭和13年)に東京市(当時)に寄付され、翌年から有料公開が始まった。現在では国指定名勝・史跡になっている。1万885㎡の開園面積には、年間を通して様ざまな花が咲いている。また、芭蕉の句碑をはじめ、計29の句碑、石柱などが建っている。

 なお、後でパンフレットを見たら65歳以上の一般・個人は70円と書いてあったので、どうして無料だったのかは分からない。それにしても、歳はとりたくないものだ。

2018年9月17日

リーマンショックから10年

 2008年9月15日のリーマンショックは世界中に大きな衝撃を及ぼした。早くもあれから10年である。

 リーマンショックは日本にも様ざまな影響をもたらした。とくに自動車産業などは大幅な減産に追い込まれた。自動車部品を運んでいるある中小事業者は、前年度の売上高が創業以来の最高だった。しかし、一気に約4割ほど落ち込んだ。当然、輸送量の減少も約40%である。同社はそれをどのように乗り切ったのか。それまで自車両輸送が6に対して傭車(下請けへの外注)比率が4だった。そこで長年の取引だが、やむを得ず傭車先との契約を解消することで、売上は減少したが、雇用を維持しながら何とか乗り切ったのである。

 割り切って言えば、下請けはこのような時のためにある。もちろん外注の方がコストダウンできるという面もあるが、同時に需給調整の役割をもっている。同様にリーマンショック後は、派遣切り(雇い止め)が社会的な問題になった。非正規雇用労働者との契約解消である。これもハッキリ言ってしまえば、非正規雇用労働者は安い人件費で働かせるとともに、景気調整のために存在するという本質が露骨に顕れただけである。

 厚労省の資料によると、2008年の非正規雇用労働者は1765万人だったが、2017年は2036万人で、15.4%の増加だ。正規雇用労働者は08年が3410万人で17年は3423万人と0.4%しか増えていない。これが昨今の「人手不足」の中身である。

 「アベノミクス」の柱の1つである金融緩和では、日銀の上場投資信託(ETF)を介した株式の保有残高が25兆円を超えているという。今の株価は日銀に買い支えられているともいえるが、永続するものではない。さて、これから何ショックが起きるのだろうか。

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