2つの3月11日
昨年の3月11日は愛知県みよし市にいた。同地でも大きく揺れたが本震までの時間が長かったので、震源地は遠いと判断した。新幹線が多少は遅れるかもしれないという程度の認識で情報確認をしなかったのである。
ところが、名古屋までは通常通りだったが、新幹線がまったく動かないので、初めて事態の重大さを知ったのである。結局、10時間以上かかって12日の深夜2時過ぎに新宿の事務所まで何とかたどり着いた。自宅に帰らず事務所で仮眠しようと思ったのだが、書類などが散乱していてかたずけるのに時間がかかり、横になったのは東の空が白むころだった。
あれから1年が過ぎたが、被災地の復旧・復興はほとんど進んでいない。予算の問題や、関連する法律の所轄官庁の違い、がれき処理の受け入れ自治体が少ないなど、様ざまな問題はある。しかし、これらは与野党が協力すれば短期間に解決できないことではない。それこそが「政治主導」というものだ。もっとも政治家らしい政治家がいない現状では、「政治主導」を求める方が間違っているのかもしれない。
東日本大震災の衝撃があまりにも大きかったので、この1年間すっかり忘れていたことがある。この原稿を書いていたら、3月11日は当社(有限会社物流ジャーナリスト倶楽部)の設立記念日だったことを思いだした。自分1人だけの会社だが、設立が1997年3月11日なので今年が15周年である。それにしても法定福利費や消費税の支払いなど四苦八苦の15年だったが、よく倒産せずにやってこれたものだ。
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