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2012年5月

2012年5月28日

「空気」の感じ方

 先週は月・火曜日と富山市、魚津市を周り、金曜日には富士宮市のある企業を訪問して、富士市のホテルに宿泊した。土曜日の朝、ホテルで朝食をすませてレストランの前のテラスにでると、懐かしい「空気」を感じた。むかし朝霧高原で1年ほど生活したことがあったが、その当時と同じ朝の空気を感じたのである。

 空気といえば、取材で初めて訪ねる企業でも、会社に入った瞬間の「空気」で、いまは小さくてもこの会社は伸びるだろうとか、その反対のことを直感することがある。この「空気」の直感はほとんど当たる。経営者に取材して、やはり、と確信できるのである。

 何度も訪ねている企業でも同じだ。会社に入った瞬間に、数年前にきたときの「空気」と違う。最近は業績が伸びているようだとか、逆に苦戦しているのかも知れない、などと感じる。やはり経営者と話をすると、直感が間違いでなかったことを確認できる。

 この「空気」とは何か。ともかく会社に1歩入った瞬間の感覚でしかないので、「空気」としか表現しようがない。それでも「空気」の違いの理由を解説することは可能だ。だが、説明すると長くなるので、ここでは割愛する。

2012年5月21日

燃料価格高騰

 5月15日にトラック、バス、ハイ・タクの業界団体と、交通運輸関係の労働組合などによる「燃料価格高騰による経営危機突破全国統一行動」が全国各地で行われた。燃料を購入して消費することで事業を営んでいる業界の労使の一斉行動である。筆者は当日、関東ブロックの会場である日比谷公会堂に行った。

 今後、燃料価格がさらに高騰するような事態になると、燃料販売会社では供給抑制つまり「売り惜しみ」などをすることも予想される。すると、燃料を購入する交通・運輸会社では仕事に支障がでてしまうので、少なくとも前年並みの燃料を保証しろといった主張をするだろう。それに対して販売会社側は、前年通り販売しているではないかと反論するものと思われる。

 実は、この両者の言い分はどちらも間違いではない。購入する交通・運輸会社からすると前年並みは燃料の「量」を意味する。だが、燃料販売会社では売掛金すなわち「与信」を基準にしているのである。交通・運輸会社は燃料がなければ仕事にならないので、量の確保は必須である。一方、燃料販売会社は、サーチャージなどで燃料高騰分を顧客に転嫁できていない交通・運輸会社は回収リスクが高い取引先ということになる。それだけではなく、燃料販売会社自身も元売りへの支払額が増加する、という構造になっている。

 いうまでもなく日本は中小企業が多い。そして、大企業からの一方的な単価引き下げなどに耐えながら、中小企業は日本経済を陰で支えている。中小の交通・運輸会社も、中小の燃料販売会社も同様である。この両者の言い分がどちらも正当であるならば、前述のような問題を解決できるような制度などを考えるのが政治の役割であろう。

2012年5月14日

異常か本来の姿か

 大型連休最後の6日に関東地方で竜巻が起き、大きな被害をもたらした。後日、気象研究所が発表したところによると、ほとんど同時に3つの竜巻が発生するのは異例という。そのうちの1つで最も大きな被害を及ぼしたのが常総市→つくば市の竜巻で、同日の午後0時35分ごろに常総市で発生し、時速60㎞でつくば市に至った。幅500m、距離17㎞にわたって帯状に被害を与えた。

 小生は、この竜巻が発生した常総市の生まれ、育ちである。もっとも同じ市内ではあっても、竜巻が発生した地域とは少し離れているので、実家の近くでは被害がなかった。しかし、小生の知る限りでは、このような現象がこれまで起きたことはない。昔は自然災害なども比較的少なく、のんびりした地方だったのだが、東日本大震災以降は地震も頻繁に発生するようになった。

 小生の田舎に限らず、最近は全国的に自然現象などに異常が感じられるようになってきた。しばしば語られるのが地球温暖化の影響である。もちろん、温暖化の影響は否定できないだろうが、はたしてそれだけなのだろうか。

 視点を換えてみると、異常なのではなく、これが本来の自然の姿なのかもしれない。異常現象という捉え方は、人間を主にして自然を客とした見方である。反対に自然を主にすると、我われからは異常と思えるものが本来の姿なのであり、人類はそのような自然の現象や変化にそのつど適応して今日まで繁殖してこれた、という考え方も成り立つ。

 これは経営環境の変化と企業経営の関係にも当てはまることだ。

2012年5月 7日

規制と自主規制

 朝日新聞阪神支局襲撃事件らか3日で25年が経った。早いもので、すでに四半世紀である。この間に事件は時効になってしまった。暴力による言論の圧殺は卑怯だし許されない。

 「ペンは剣よりも強し」というは言うものの、生身の人間である以上、実際には大変なことだ。一方、「ペンは金よりも強し」も難しい。原発事故に関するマスコミの報道などはその最たるものといえる。

 小生も昔は「ケガをするぞ」とか「弾が飛んでくるぞ」などと言われた経験がある。ある時など、人里離れたところに1人で取材に行き、鎖に繋がれた猛犬が5、6匹もいる近くで、「海にプカプカ浮かんでも良いのか」などと脅されたこともあった。トラック運送業界を中心に物流を取材のフィールドにしている現在では、そのような危険な取材はまずない。だが、経済的な面からの「規制」や「自主規制」という誘惑は常にある。

 若い時に、ある大学教授から「インディペンデント」の語源について伺ったことがある。その先生も同僚の言語学者から聞いたということだったが、話によると、どんな孤立状態に陥っても経済的に自立できる条件をもって自分の主義・主張を貫くような人を表したのが、インディペンデントの語源ということであった。その時、なるほど経済的基盤がなければ力にはなりえないのか、と思ったものである。

 そこで独立して1人で仕事を始めた時から、収入源の小口分散化と常に第三者としてのスタンスを保てるような条件を構築して維持してきた。経済的自立とアウトサイダー的立場の保持である。したがって主たる取材対象の業界にも迎合せずに、第三者の立場から可能な限り客観的に判断した自分の意見を主張するようにしている。

 だが、経済的自立といっても最低限の維持であり、余裕がないのが大いなる悩みである。

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