規制と自主規制
朝日新聞阪神支局襲撃事件らか3日で25年が経った。早いもので、すでに四半世紀である。この間に事件は時効になってしまった。暴力による言論の圧殺は卑怯だし許されない。
「ペンは剣よりも強し」というは言うものの、生身の人間である以上、実際には大変なことだ。一方、「ペンは金よりも強し」も難しい。原発事故に関するマスコミの報道などはその最たるものといえる。
小生も昔は「ケガをするぞ」とか「弾が飛んでくるぞ」などと言われた経験がある。ある時など、人里離れたところに1人で取材に行き、鎖に繋がれた猛犬が5、6匹もいる近くで、「海にプカプカ浮かんでも良いのか」などと脅されたこともあった。トラック運送業界を中心に物流を取材のフィールドにしている現在では、そのような危険な取材はまずない。だが、経済的な面からの「規制」や「自主規制」という誘惑は常にある。
若い時に、ある大学教授から「インディペンデント」の語源について伺ったことがある。その先生も同僚の言語学者から聞いたということだったが、話によると、どんな孤立状態に陥っても経済的に自立できる条件をもって自分の主義・主張を貫くような人を表したのが、インディペンデントの語源ということであった。その時、なるほど経済的基盤がなければ力にはなりえないのか、と思ったものである。
そこで独立して1人で仕事を始めた時から、収入源の小口分散化と常に第三者としてのスタンスを保てるような条件を構築して維持してきた。経済的自立とアウトサイダー的立場の保持である。したがって主たる取材対象の業界にも迎合せずに、第三者の立場から可能な限り客観的に判断した自分の意見を主張するようにしている。
だが、経済的自立といっても最低限の維持であり、余裕がないのが大いなる悩みである。
最近のコメント