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2012年7月

2012年7月30日

無人駅下車

 7月は北海道への出張が多かった。移動日を含めると延べ10日間ほど北海道である。6月も北海道に2度ほど出張したので、6月と7月を合わせると16日間になる。

 先々週は仕事の合間の僅かな時間に支笏湖にいった。また、先週は千歳のホテルから近いのでウトナイ湖にいってみようと苫小牧の1つ手前の沼ノ端で下りた。帰りも同駅から千歳駅まで帰ろうと電車に乗ったのだが、南千歳の1つ手前の美々駅で停車したまま動かなくなった。人身事故があったらしく、再開までにはかなり時間がかかるという。そこで駅の周りをうろついてみようと電車の外にでてみた。もちろん無人駅なのだが、周りに人家は見えず自動販売機すらない。

 1年前の昨年8月には名古屋から津に向かう途中の四日市駅で1時間ほど電車がストップしたことがあった。この時は、前の桑名駅で車掌を乗せずに発車してしまったため、次の電車で車掌が来るまで発車できませんとのことだった。その他にも乗り物にまつわるハプニングには数多く遭遇してきた。

 なかでも最高傑作? はポーランドのワルシャワからハンガリーのブタペストに向かう夜行特急で、チェコの国境に近いポーランド側の駅のホームに、夜中に降ろされてしまったことだ。特急が止まらない駅なのだが、チェコの国境警備隊と称する人たちが臨時停車させ、ビザがないという理由で無理やり車外に放出されてしまったのである。あとでチェコの大使館で聞いたら、通過するだけなのでビザはいらないとのこと。ひょっとしたら、その人たちはスロバキアの警備隊ではないかという話になった。1997年9月23日の深夜のこと。そのころは昔のチェコスロバキアが民族間で分裂して紛争が起きていたため、そのトバッチリを受けたのだろうと推測される。

 さて、美々駅では、コンパクト・デジカメで辺りの写真を撮ることにした。アクシデントがなければ、おそらく生涯降りることのない駅である。そう思うと、これも天の粋な取り計らい。何事も予定通りにはいかないものだ。ハプニングもまた人生である。

2012年7月23日

偶然の隣席

 偶然もたび重なると必然になるといわれる。必然とまではいかないが、偶然ともいえることが、この間、立て続けに起きた。

 6月、7月と何度かセミナーの講師をしたが、研修会終了後の懇親会でいろいろな方とお会いすることができた。6月の中旬には席が指定されたテーブルで、筆者が発行している会員制情報誌の読者企業の人が右隣の席だった。先週のセミナーでも、やはり懇親会で指定された席に座ったら、12年ぶりの人が左隣の席だった。12年前に、あるグループが敦賀から小樽までのフェリーに乗って洋上セミナーをしたのだが、その時にフェリーの2人部屋で一緒だった人である。大変な失礼をしてしまったのだが、初対面のつもりで挨拶したら、先方は筆者を覚えていてくれた。このときは右側の2人目の席の人も、今年2月のセミナーでご一緒した人だった。

 さらに、これも先週のセミナーの後の懇親会だが、やはり指定された席に座ったら、左隣の席が6年ぶりにお会いする人だった。6年前にある路線会社の幹部研修会に呼ばれたのだが、その当時は常務だった人で現在は代表取締役専務になっている。6年前の研修の時に、駅まで迎えに来てくれると言うのをお断りした。すると迎えを断る理由を聞かれたので、時間的に余裕があるので久しぶりにあるウナギ屋で昼食をとってから入るつもりだと言ったら、そのウナギ屋を予約してくれて社長はじめ何人かの人と食事をしたことがある。その時にご一緒した方だったので当時の話題になったのだが、それにしても地元で有名なあのウナギ屋を良く知っていましたね、という話になった。

 6月下旬の別のセミナーでは懇親会がなかったのだが、2週間前のセミナーでも話を聞きましたと名刺交換に来られた人があった。もちろん主催者もテーマも違うが、わずか2週間に2度も話を聞いていただけるとはありがたいことである。

 新しい出会いがあれば、久しぶりの再会もある。この間、偶然の隣席が連続したが、夏以降も順調に仕事が入ってくることを願っている。

2012年7月16日

IT難民

 このコラムを自分で入力するのは久しぶりだ。実は、コラムの入力ができなくなってしまい、5月28日から7月9日づけまでは原稿を送信して、ある人のパソコンから更新してもらっていたのである。先週、セッティングし直してもらい、やっと今回から自分のパソコンで書けるようになった。

 2001年に「運送事業者のためのIT活用マニュアル」という本をだした。出版社が推薦文を書いた帯をつけたいというので、神奈川大学の中田信哉教授(現名誉教授)にお願いした。すると、普通の推薦文の他に「ITをアイテーという人がいて春が来る 新八」というのを送ってきてくれた。後者はダメだろうが、もし採用されるならそれにしてほしい、ということだった。筆者もおもしろいと思い、自分がその後に「ITのアナログ語訳がアイテーだ 旧七」と続けるから、それで行こうと主張したら、編集者はしぶしぶ承諾したのだが、営業担当者が断固反対。結局、普通の推薦文を採用した。

 同著を出版した後で、パソコンが分からなくなった時など知人に教えてもらおうとすると、恐れ多くてITの本を書いている人に教えられません、などと冗談を言われたものだ。そこで、もう一度よく読み直してくれ、自分は「活用」について書いたのであって、「操作」のことなど一行も書いていない、と切り返した。

 若い経営者の人たちはフェイスブックなどで情報交換したり、それをキッカケに新たなつながりをつくったりしている。コミュニケーションの手法や人的ネットワークの形成も新しい形になってきつつある。筆者など、だんだん時代に取り残され、IT難民の観がある。

 だが、様ざまな「操作」ができることと「活用」できているかどうかは必ずしもイコールではない。たしかに操作は上手だが、活用できていない若い経営者も中にはいる。反対に、操作は全くダメでもITを活用して経営に活かしている年配の経営者もいる。もちろん、操作も活用もできるのが一番良いことはいうまでもない。

 ところで、筆者は現在、BANBOOの特訓中である。というよりも某所から監視役が送り込まれて、強要されているといった方が正確かもしれない。何のために? それは近いうちに明らかになるでしょう。

2012年7月 9日

ヒッグス粒子

 ヒッグス粒子の存在が、99%以上の確率で確認されたという。専門的なことは全く分からないが、新聞などの報道によれば、素粒子は物質を構成する最小単位といわれる。その素粒子の中でもヒッグス粒子は神の粒子とも呼ばれ、あらゆる物質の質量を生み出す機能をもつ。素人解釈ながら、まぁ、この程度に理解することができた。

 ヒッグス粒子は、素粒子に質量を与える理論上の粒子として、1964年にエディンバラ大学のピーター・ウェア・ヒッグス教授が提唱したのでそう呼ばれている。存在が確認されれば、仮説が提唱されてから48年目にしての発見となる。世紀の大発見といえるだろう。しかも世界中の多くの学者が協力して研究に取り組んできた成果という点でも意義がある。

 小生が小学生の時に読んだ本や中学校で教えられたのは、元素の最小単位は原子だったと記憶している。その当時、原子核のまわりを電子が周っている挿絵をみて、まるで太陽系のようだと思った。太陽を原子核とすれば地球などの惑星は電子である。そして太陽系は計り知れないほど大きな物質を構成する原子の一つに過ぎないのではないか。まして地球や、その中の自分の生活圏など微々たるもの。そんな想像に浸ったこともあった。

しかし、原子は原子核と電子で構成され、原子核はさらに陽子、中性子、中間子から成っている。したがって、それらはさらに分析できるため、現在では原子は物質を構成する中間単位で、素粒子が最小単位とされているようだ。科学は常に進歩していることを実感する。

 ヒッグス粒子のニュースを考えていたら知恵熱がでてきた。現実の世界に戻ろう。でも、ヒッグス粒子が素粒子に質量を与えるとすると、ヒッグス粒子がなければ「過積載」もないことになる? なんてことは間違っても考えていません。

2012年7月 2日

安全政策の昨今

 報道によれば、大阪市西成区でワゴン車を暴走させ、6人に重軽傷を負わせた容疑者の尿から覚醒剤が検出されたという。その他にも違法薬物を吸引して事件を起こしたというニュースが最近は多くなってきた。

 24年前の7月のこと。ある中小トラック運送会社の経営者が、自社の従業員に覚醒剤を販売していたとして逮捕されたことがあった。さっそく警察署にいって副署長に取材した。その時の話では、若い従業員たちが長時間の深夜労働でも疲れないと、覚醒剤を買って働いていたという。警察署で話を聞いた後、その事業所を訪ねた。まだ梅雨明け前で雨が降っていたことを覚えている。

 事業所には誰もいなく事務所は閉まっていた。近所の住民の人たちの何人かに話を聞いたら、従業員の人たちは良い人ばかりで、みんな真面目に夜遅くまで働いていたという。「まさかあの人が...」というが定番のようなコメントである。事業所の敷地をうろついていたら、ある中堅事業者が下請けとして使っていたことを裏付ける物証を見つけたので写真に撮った。そして、その中堅事業者の当該営業所に取材を申し込んだのだが、案の定、取材を拒否された。

 1995年にアメリカの個人トラックを取材したとき、運送会社の数社から契約書のコピーを入手した。どの会社も通常の契約書の他に、安全政策についてもオーナー・オペレーターと文書で交わしている。その文書の中にドラッグ・テストという項目があった。それを見て、いかにもアメリカらしいな、と思ったものである。当時の日本の運送業界の状況からすると、遠い海の向こうの世界のことだったからだ。

 しかし、昨今の社会状況をみると、旅客、貨物に関わらず運送会社はアルコール・チェックだけでなく、ドラッグ・チェックも必要なのではないかと思うようになってきた。

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