失って得られたことの悲しさ
ジャーナリストの山本美香さんが、取材先のシリアで政府軍に銃撃されて亡くなった。伝えられるところによると、アサド政権はジャーナリストを狙い撃ちしているようだ。山本さんは、その犠牲になってしまった。
国家でも組織でも企業でも、外部に伝えられてはまずいようなことをしていると、ジャーナリストを退けようとする。正確にいうとジャーナリストを避けようとするのは国家、組織、企業ではなく、為政者、指導者、経営者である。一方、彼らは自分の主張をそのまま一方的に流してくれる媒体や「ジャーナリスト」を大歓迎する、という共通点をもっている。
戦場や紛争地帯などを取材するジャーナリストは、常に死と隣り合わせにいる。これまでの歴史の中でたくさんのジャーナリストが取材現場で非業の最期を遂げている。なかでも真っ先に頭に浮かんでくるのはロバート・キャパである。スペイン内戦で人民戦線の兵士が頭を撃たれた瞬間を撮った「崩れ落ちる兵士」の印象が強かったからかもしれない。日本人でも、「安全への逃避」でピューリッツァー賞を受賞した沢田教一さんや、一之瀬泰造さんなどの名前を思い浮かべる。
山本さんが最後に撮った映像をインターネットでみたが、紛争の中で生きる市民、子供や赤ちゃんなどが映し出されていた。山本さんが伝えようとしていたものが何だったのかを、ほんの少しだけだが理解できたような気がする。
シリアの状況は新聞やテレビなどを通して一応は知っていた。だが、多くの市民が死傷していることも含めて、自分とは遠い世界の出来ごとでしかなかった。山本さんの死によってシリアの市民が置かれている現状を、身近な問題として実感するようになった。
何かを得るということは何かを失うということでもある。山本さんはジャーナリストとしての志を貫いたが、その代償が非業の死であったことは残念である。
ご冥福をお祈りします。
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