浜松城とレーピン
先週は全日本トラック協会の事業者大会で浜松に行った。翌日、浜松城を訪ねたら、事業者大会に参加者した人たちもけっこう来ており、旧知の何人かとあらためてお会いすることができた。お互いの共通の知り合いについて、誰々さんとさっき会いましたよなどと言いあっては、「誰でも考えることは同じだね」と笑った。
浜松城は建て物は小さいが、徳川家康が29歳から45歳までの17年間を過ごし、天下統一の足がかりをつけたというので、「出世城」とも呼ばれているという。見学者の誰かが「小さな城だから、力を付けてくれば狭くなるので、天下をとれなくても大きな城に移るはず。出世城という理由が分かったよ」と仲間内で話しているのが聞こえた。なるほど、そのような見方もあるのかと感心した。これは推測に過ぎないが、小さな会社から出発して、事業規模を拡大するにしたがって、本社の建物などを大きくしてきた人なのではないかと思われる。
浜松城公園の中を歩いていたら浜松市美術館があり、レーピン展を催していたので入館した。イリヤー・エフィーモヴィッチ・レーピンは「ヴォルガの船曳き」が有名で、唯一それだけは知っていた。時間もあり、好きな絵だったので観ることにしたのである。
ところが解説によると、1871年の展覧会に出品されて注目された習作では、船曳きたちの過酷な労働、憔悴した雰囲気を描いていたのに、73年の完成画では船曳きたち1人ひとりの個性を描いているとあった。またレーピンは、サンクト・ぺテルブルク近郊のネワ川で1869年に、完成作品とほとんど同じ構図の習作を描いている。さらに船曳きたちを正面から描いた「浅瀬を渡る船曳き」も1872年に描いており、モチーフに対するレーピンの執着が感じられた。
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