いかんともしがたい閉塞感
早いもので今年も3週間が過ぎた。いろいろな新年会もほぼ一巡したことだろう。業界団体などの賀詞交歓会のようなものにはほとんど行かないのだが、わずかに顔をだしたところもある。どこでも主催者や来賓の挨拶はほとんど同じようなもので、今年の傾向としては、①政権交代して株価が上がり、円安になってきた、②景気は気からというので、③今後の経済政策に期待したい、といった共通点があるように受けとめた。
だが、そのような挨拶をした本人が、自分の言葉を心底から信じているかというと、そうではない。新年会なのでそのように言わざるを得ないから、そのような挨拶をしているだけなのである。つまり現政権の経済政策に全幅の信頼を置いているわけではなく、皆さんけっこう懐疑的なのである。だから正確には、政府のシナリオ通りにいってほしい、そうなってもらわなければ困る、というのが本心といえる。つまり希望や願望なのだ。
なぜかといえば、もし現在の政策が失敗したら日本は大変なことになってしまう。それこそギリシャの比ではないぐらいの状況に陥ってしまうという認識を、少なからずもっているからだ。それでも、当面の間は他に選択の余地がない。だから、シナリオ通りにいってほしいと願うしかない、という心境なのである。
当面の間は、なぜ、選択肢がないのか。この点についても、新年会の参加者の人たちと話すと、小選挙区制の弊害を指摘する人が意外に多いのには驚いた。そのような意味では、けっこうみんな醒めた目を持っていて、冷静なのである。
閉塞感とか閉塞状況などと、これまで深く考えもせずに書いたり話したりしてきた。だが、いま初めて閉塞という言葉の意味が実感できたような気がしている。まったく、いかんともしがたい状況である。
日本は、この閉塞状況から抜け出すことができるのか。もちろん難しいことではあっても、けっして不可能ではない。だが、険しく遠い道のりになるだろうと思われる。どうも今回はネガティブになってしまった。
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