「カスバの女」
正直なところ先週、書こうかどうか迷っていた。アルジェリアの卑劣なテロのニュースに接している中で、自然に歌詞が浮かんできたのだが、たくさんの犠牲者をだした事件なので、躊躇していたのである。
そしたらこの間、NHKの「ニュースウオッチ9」で事件以来「カスバの女」(大高ひさを作詞、久我山明作曲、以下の「 」内は同曲からの引用)の関心が高まっていると報じていた。その中で、同地に赴任したことのあるOBの人が、現地では誰かが歌いだすと皆が歌いだした、といったことを話していた。また、作曲者の久我山さんは、大高さんが映画「望郷」(1937年フランス映画、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督、ジャン・ギャバン主演)を観て感情を移入して作詞したのではないか、といったコメントをしていた。この歌は、人それぞれの思いを込めて歌われているのだな、と感じた次第である。そこで今回、自分なりの思いを書くことにした。
実はこの曲を自然と口ずさみたくなる場所がある。アムステルダムの飾り窓である。同地に行くたびに興味をもって歩きまわってみた。本当は飾り窓のならぶ路地の写真を撮りたかったのだが、危険なのでこれまで一度もシャッターを押したことがない。実際に恐い経験をしたからである。
そこで途中からヒアリング調査に方針を切り替えた。何回かの調査の結果分かったことがある。まず、出身地では、ロシアや東欧を含むヨーロッパ全域から集まっている。だが、地元オランダの出身という人はいなかった(真為は不明)。アジアでは東南アジアが多く、中央アジアは少ないようだ。アメリカは中米と南米に比べると北米は少ない。オセアニアも比較的少ない感じである。中近東もいるが、アフリカはきわめて少なかった。それぞれが「いまさらかえらぬ身の上」を秘めながら微笑んでいるのだろう。
もう一つ分かったことは、中心部の方は若くて痩身が多く、中心部から離れるほど、その逆になるという傾向である。人生の縮図を実感させる。
訪れるたびにこのような調査をしてきたが、さらに印象的なことがある。そろそろ帰ろうと運河沿いの道を歩いていると、いつも頬にかすかな風を感じるのである。その微風はあたかも、多くの男たちの一時の「火花」の残り香を連れ去り、さぁ、もう現実に帰れよと、かるくウィンクを投げかけているかのようでもある。
運河の水面を渡ってくるわずかな風を感じると、自分は人生という戦場で必死に生きようと戦っている一傭兵なのかも知れないな、といった思いが湧いてくるから不思議だ。同時に「カスバの女」を自然と口ずさんでしまうのである。
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