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2013年8月

2013年8月26日

待つ身には厳しい残暑

 暦の上では残暑と言うのだろうが、それにしても暑い毎日が続く。とくに待つ身にとっては厳しい暑さだ。何を待っているのか、である。

 今年の夏はかなりのハードワークだった。といっても、過去完了ではなく、まだ終わっていない。先週の前半にやっと一山越えたのだが、眼前にはさらに高い山がそびえ立っている。その山を登るのが大変なのだが、何としても越えなければならない。これからが本番である。

 アマゾン・ドット・コムのCEOが、アメリカの名門紙ワシントン・ポストを買収したというニュースは、時代の変化を実によく表していると思った。活字媒体に代わってネット通信の社会になりつつあることを象徴しているかのようだからである。

 新聞に限らず、書籍も苦戦している。本が売れないのである。昔は電車の中で新聞を読んだり、本を読んだりしている人がたくさんいた。ところが最近はスマートフォンやタブレットPCなどの画面に集中している人が圧倒的に多く、それに比べると新聞や本を読んでいる人は少ない。なかには電子書籍やタブレットで新聞を読んでいる人もいるだろうが、ともかく紙媒体は少数派になってきた。

 本が売れないから版元も出版には慎重だ。昔は出版社に企画書を提出して説明をし、編集会議で検討して契約するかどうかを決めてくれた。ところが最近は、企画書だけでは検討の対象にもならない(少なくとも自分の場合は)。原稿を書き上げて、それを編集者が読んだ上で編集会議に図るかどうかを判断する。会議で検討した結果、ダメになることもある。。

 というわけで先週前半に原稿を書き上げたのだが、現在、出版社と交渉中なのである。今度の原稿は何としてでも出版したい。内容的には自信がある(執筆者は誰でもそう思っているのだが)。しかし、出版社がどのように判断するかである。

 だが、複数の出版社に同時に検討を依頼するようなことは道義的にやらない。これはポリシーの問題だ。したがって、断られたら次の出版社で一から交渉となる。そのような事にならないように祈るばかりだが、それにしても待つ身には厳しい残暑である。

2013年8月19日

国廃れて国際化あり

 お盆は1日だけ休みをとって、茨城県の常総市にお墓参りにいった。車を運転するのは久しぶりだが、市内の道路を走りながら気づくのは、常総市も国際的になった、ということである。

 韓国エステ、タイ式マッサージ、ミャンマー・カリーなどの看板(店舗)がたくさんある。それらの中でもとりわけ国際化を実感させられるのは、ブラジル銀行であろう。関東鉄道常総線の水海道駅から200m程度のところに、ブラジル銀行の茨城出張所がある。すでに数年前からあるのだが、それだけ多数の日系ブラジル人が近隣に住んでいて、本国への送金などの利用が多いのだろうと思われる。そういえばブラジル商品を専門に扱うスーパーもある。

 グローバル化の流れが地方の小都市にも押し寄せてきて、我が故郷も国際的になったものだ。ちなみに8月1日現在の人口は66,094人(世帯数22,934)で、そのうち外国人が3,853人(1,823世帯)である。市の人口に占める外国人の割合は5.8%(世帯数の7.9%)。人数と世帯数の割合からすると、いずれは子供が増えて、外国人の人口比率がもっと高くなる可能性がある。

 しかし一方では、昔の繁華街の所どころに空き地が目立つようになってきた。古くからの商店が廃業して、さら地になっていたり、駐車場になっている。現在はまだ商売を続けていても、良くやっているな、と思うような店もある。おそらく次の代には継承されないだろう。

 さらに、明らかに現在は人が住んでいないと思われるような住宅もポツン、ポツンと目に入ってくる。庭が草ぼうぼうだったり、ガラスが破れていたりする家を見ると、寂しさやむなしさといった、複雑な気持ちになってくる。同時に、最近の世相を考えると、物騒だなとも思ってしまう。

 小さな町なので市街地といってもほんの僅かで、車で10分も走れば田んぼや畑が広がり、そのなかに人家が点在するような風景である。もし農業が廃れて耕作されなくなったら、草ぼうぼうの平原の所どころに人家がポツンとあるようになってしまうのだろうか。そんなことすら単なる空想ではなく、現実味をおびてきた。

 「国破れて山河あり」ではなく、「国廃れて国際化あり」では本末転倒ではないだろうか。グローバル化の進展は歴史の必然であろう。しかし、その結果として国が廃れてしまうのでは何のための国際化なのかと思わざるを得ない。

 そこでハッと気がついた。そもそも「国」という発想自体が、グローバル化の流れからは、もはや取り残されているということだったのか...。

2013年8月12日

映画と都電

 久しぶりに錦糸町の駅に降りた。南口は懐かしい。むかし錦糸町の駅から歩いて10数分のところに約3年ほど住んでいた。まだJRではなく国鉄だった当時で駅舎も古かった。錦糸町の近くに住んでいる途中で駅が新しくなったと記憶している。

 予定の時間まですこし余裕があったので、駅前をうろついたのだが隔世の感がある。かつて映画館が何軒も並んでいたところは大きな建物になっている。だが、その中に楽天地シネマズ錦糸町として映画館が残っていたのを確認して嬉しかった。

 錦糸町に住んでいたころには、すでに映画はテレビに押されて斜陽産業といわれていた。だが、当時はまだ地方の小さな町にも1軒くらいは映画館があったものだ。斜陽といわれても現在と比較するとまだまだ勢いがあったのだなと思う(最近は映画が復興しつつあるが)。錦糸町駅のすぐ傍にあった映画館街も、そのころはけっこう賑わっていたものだ。

 映画館が並んでいた跡に建っているビルの入口付近をうろうろしながら、昔のことを思い出していた。松竹の株を持っている人から時どき招待券をもらったので、「寅さん」の映画をよく観たものだ。その中でもなぜか強く記憶に残っているのは、真夏の熱い日差しを避けるようにしながら映画館まで歩いてきたこと。明るい太陽の下から映画館に入った時の薄暗さや、冷房の涼しさ、そして上映が始まるのを待つ時間のわくわく感などである。あの頃も、今日のように暑かったな、と懐かしさがこみ上げてきた。

 また当時は、駅前から路面電車が発着していた。だが、やはり錦糸町に住んでいる頃から、路面電車が徐じょに廃線になっていった。いまにして思えば、あのころは日本が大きく変化しつつあった時代だったのだ。「寅さん」は、このような時の流れに抗して生きようとしていたのかも知れない。そこに笑いがあり、そして悲しみが隠されていた。だから多くの人たちが共感しながら観ていたのではなかったろうか...。久しぶりに錦糸町の駅に降りて、そんなことを考えた。

 ところがその翌日、偶然にも都電に乗ることになった。都内に唯一残っている路面電車は都電荒川線である。早稲田から三ノ輪橋までの12.2㎞を昔ながらの路面電車が走っている。この都電に大塚駅前から小台まで乗車した。

 むかし住んでいた町で「活動写真」を思いだし、翌日には「路面電車」に乗るという偶然の2日間であった。

2013年8月 5日

遭遇あれこれ

 秋田新幹線に乗ろうと大宮駅のホームで待っていたら、突然、声をかけられた。長野県の会社の人である。2年ぶりぐらいなので「お久しぶり」ということで立ち話になった。

 この日は上野~大宮間で停電になったとかで、早朝から秋田・東北・山形・上越・長野新幹線が全部ストップになっていた。その後、運転されるようになったのだが、約1時間ほどの遅れだった。そこで平常なら1時間前に発車するはずの新幹線に乗ってしまおうと考えていた。その人は行く先も違い、乗車予定の便も違ったのだが、ダイヤの乱れで偶然、遭遇したというわけである。

 偶然の遭遇といえば、約2カ月前のことである。愛知県の小牧市の郊外を歩いていたら、携帯電話が鳴った。歩きながら電話に出ると、相手は三重県の会社の社長である。ものすごく近くから電話をしているように聞こえたので、津と小牧はやはり近いんだと瞬間的に思ったのだが、実際にはもっと近くだったのである。

 「森田さん、いまどこを歩いているの」と聞かれたので、「小牧の郊外を歩いている」と答えると、「やはりそうだったのか」という。こちらは歩道を歩いていたのだが、その社長は車ですれちがいざまに気づいたのだという。すごく似ていると思ったらしいのだが、少し走しり過ぎてから間違いないと思い、車を止めて電話をしてきたということだった。

 各地を歩いていると、思いがけないところで、思いがけない人に遭遇することがある。ずっと以前になるが、羽田から千歳に向かう飛行機で、自分のまん前の席に茨城県の会社の社長が座ったことがある。これもやはり茨城県の会社の社長だが、盛岡から大宮に向かう新幹線の中で、仙台から同じ車両に乗ってきた。あるいは5、6年前には、沖縄の石垣空港で新潟県の会社の代表とばったり会ったことがある。

 ある程度、会う可能性のある場所で何年かぶりに会っても驚かない。しかし、まったく想定できないような所で偶然に会うと、良く似ているがひょっとして人違いではないだろうか、と思ってしまう。こちらが先に気づいた時には、慎重に、それとなく観察して間違いないと確信してから声をかけるようにする。

 ある空港の国際線のカウンターで、知っている社長を見かけた。先方は気がついていない様子である。そこで挨拶しようとしたのだが、良く見ると声をかけてはいけないと思えるような「同伴者」が寄り添っていた。そこで、気づかなかったことにして、速やかにその場から離れたこともあった。

 それにしても、いつ、どこで、誰が見ているか分からない。悪いことはできないものだ。

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