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2013年8月19日

国廃れて国際化あり

 お盆は1日だけ休みをとって、茨城県の常総市にお墓参りにいった。車を運転するのは久しぶりだが、市内の道路を走りながら気づくのは、常総市も国際的になった、ということである。

 韓国エステ、タイ式マッサージ、ミャンマー・カリーなどの看板(店舗)がたくさんある。それらの中でもとりわけ国際化を実感させられるのは、ブラジル銀行であろう。関東鉄道常総線の水海道駅から200m程度のところに、ブラジル銀行の茨城出張所がある。すでに数年前からあるのだが、それだけ多数の日系ブラジル人が近隣に住んでいて、本国への送金などの利用が多いのだろうと思われる。そういえばブラジル商品を専門に扱うスーパーもある。

 グローバル化の流れが地方の小都市にも押し寄せてきて、我が故郷も国際的になったものだ。ちなみに8月1日現在の人口は66,094人(世帯数22,934)で、そのうち外国人が3,853人(1,823世帯)である。市の人口に占める外国人の割合は5.8%(世帯数の7.9%)。人数と世帯数の割合からすると、いずれは子供が増えて、外国人の人口比率がもっと高くなる可能性がある。

 しかし一方では、昔の繁華街の所どころに空き地が目立つようになってきた。古くからの商店が廃業して、さら地になっていたり、駐車場になっている。現在はまだ商売を続けていても、良くやっているな、と思うような店もある。おそらく次の代には継承されないだろう。

 さらに、明らかに現在は人が住んでいないと思われるような住宅もポツン、ポツンと目に入ってくる。庭が草ぼうぼうだったり、ガラスが破れていたりする家を見ると、寂しさやむなしさといった、複雑な気持ちになってくる。同時に、最近の世相を考えると、物騒だなとも思ってしまう。

 小さな町なので市街地といってもほんの僅かで、車で10分も走れば田んぼや畑が広がり、そのなかに人家が点在するような風景である。もし農業が廃れて耕作されなくなったら、草ぼうぼうの平原の所どころに人家がポツンとあるようになってしまうのだろうか。そんなことすら単なる空想ではなく、現実味をおびてきた。

 「国破れて山河あり」ではなく、「国廃れて国際化あり」では本末転倒ではないだろうか。グローバル化の進展は歴史の必然であろう。しかし、その結果として国が廃れてしまうのでは何のための国際化なのかと思わざるを得ない。

 そこでハッと気がついた。そもそも「国」という発想自体が、グローバル化の流れからは、もはや取り残されているということだったのか...。

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