« 遭遇あれこれ | トップページ | 国廃れて国際化あり »

2013年8月12日

映画と都電

 久しぶりに錦糸町の駅に降りた。南口は懐かしい。むかし錦糸町の駅から歩いて10数分のところに約3年ほど住んでいた。まだJRではなく国鉄だった当時で駅舎も古かった。錦糸町の近くに住んでいる途中で駅が新しくなったと記憶している。

 予定の時間まですこし余裕があったので、駅前をうろついたのだが隔世の感がある。かつて映画館が何軒も並んでいたところは大きな建物になっている。だが、その中に楽天地シネマズ錦糸町として映画館が残っていたのを確認して嬉しかった。

 錦糸町に住んでいたころには、すでに映画はテレビに押されて斜陽産業といわれていた。だが、当時はまだ地方の小さな町にも1軒くらいは映画館があったものだ。斜陽といわれても現在と比較するとまだまだ勢いがあったのだなと思う(最近は映画が復興しつつあるが)。錦糸町駅のすぐ傍にあった映画館街も、そのころはけっこう賑わっていたものだ。

 映画館が並んでいた跡に建っているビルの入口付近をうろうろしながら、昔のことを思い出していた。松竹の株を持っている人から時どき招待券をもらったので、「寅さん」の映画をよく観たものだ。その中でもなぜか強く記憶に残っているのは、真夏の熱い日差しを避けるようにしながら映画館まで歩いてきたこと。明るい太陽の下から映画館に入った時の薄暗さや、冷房の涼しさ、そして上映が始まるのを待つ時間のわくわく感などである。あの頃も、今日のように暑かったな、と懐かしさがこみ上げてきた。

 また当時は、駅前から路面電車が発着していた。だが、やはり錦糸町に住んでいる頃から、路面電車が徐じょに廃線になっていった。いまにして思えば、あのころは日本が大きく変化しつつあった時代だったのだ。「寅さん」は、このような時の流れに抗して生きようとしていたのかも知れない。そこに笑いがあり、そして悲しみが隠されていた。だから多くの人たちが共感しながら観ていたのではなかったろうか...。久しぶりに錦糸町の駅に降りて、そんなことを考えた。

 ところがその翌日、偶然にも都電に乗ることになった。都内に唯一残っている路面電車は都電荒川線である。早稲田から三ノ輪橋までの12.2㎞を昔ながらの路面電車が走っている。この都電に大塚駅前から小台まで乗車した。

 むかし住んでいた町で「活動写真」を思いだし、翌日には「路面電車」に乗るという偶然の2日間であった。

« 遭遇あれこれ | トップページ | 国廃れて国際化あり »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事