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2013年9月30日

今度は何に「倍返し」

 テレビドラマの「半沢直樹」が高視聴率で話題になった。「倍返しだ」は流行語大賞の候補とか。

 お客面した取引先の無理難題や、意地の悪い担当者の横柄な態度。会社に帰ってくると能力がないのに自己保身とおべんちゃらだけで出世した上司や、ごますり同僚など、ストレスがたまるサラリーマン人生。中小企業の経営者でも、元請企業などの理不尽な振る舞いにじっと耐えている人たちは少なくないはずだ。そこで、ドラマの登場人物に実在の誰かをダブらせながら、倍返しを観て溜飲が下がった視聴者が多かったものと思われる。一晩寝ると月曜日でまた現実の日常に戻らなければならないが、せめて日曜日の夜だけでも、「やれるものなら倍返ししてやりたい奴」を頭に思い浮かべながら、ドラマの主人公の「倍返し」に鬱憤をはらしていたのである。

 ところで、最後は子会社への出向で終わってしまった。これには2つのケースが考えられる。一つは、大きな仕事をしたから2、3年は息抜きして来い、というケースである。この場合には、いずれ本社の中枢に戻って出世街道を歩むことになる。もう一つは、危険人物は遠ざけてしまえ、というケースである。この場合はほとんど元に戻ることはできない。そのどちらなのかは、原作者しか分からない。

 まぁ、現実の組織社会では後者の可能性が高いと思う。つまり、頭取派が常務派に決定的なダメージを与えるために、主人公を利用したのである。だが、常務派を去勢すれば良いのであって、根こそぎ排除するつもりなど毛頭ない。その方が内部の秩序が保てるし、対面も良いからである。その目的を達成した頭取派にとって、今度は危険人物は邪魔な存在だ。その点では常務派とも思惑が一致する。つまり片道切符の出向辞令には一致して賛成である。それが組織というものだ。

 そうなると今度は、半沢君の「倍返し」すべき対象は組織となる。そのためには組織から離れ、一匹オオカミとなって反撃するしかない。フリーのライターにでもなって暴露本でも書くか...。誰でも一生に1冊は本が書けると言われる。自分の経験を基に、読まれるように脚色すればオリジナルな内容になるからだ。しかし、1冊だけでは所詮は負け犬の遠吠えに過ぎない。2冊目、3冊目と一定レベル以上の内容のものをコンスタントに書き続ける力があるかどうかが重要である。

 組織内なら失敗して子会社に出向になっても、最低限は保証されている。組織を離れると失敗したら後がないのである。「半沢直樹」の続編を待ちたい。

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