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2013年11月

2013年11月25日

名刺交換と事業意欲

 「物流コラム」と称しているが、あまり物流には関係のないことばかり書いている。また、コラムというよりはエッセイのような書き方になっている。まぁ、そんなことはどうでも良いのだが、初めて会った人(物流業界関係者)でも、当コラムを「読んでいるよ」といって下さる方がいる。ありがたいことだし、ネットの時代なのだな、ということを実感する。

 たまには仕事に関することも書かなければと常づね思っている。そこで今回は、多少は経営に関することを書いてみることにした。

 10月以降で6カ所ほど講演をさせていただいたが、セミナーでは話が終ったあとで名刺交換にこられる人がいる。どの会場でも名刺交換される方は少人数でしかない。しかし、共通しているのは、いずれも企業経営に意欲的な方がただ、という点である。なかには予定をキャンセルしてセミナーに参加したのだという人もいるし、時どきではあるが過去に出版した拙著を持参してくれる方もいる。

 このような人たちは講演だけではなく、それぞれ個別に話たいことがあってセミナーに参加されている。日頃から様ざまな経営努力をされているが、それについてのコメントを求められたり、あるいは相談されたりする。それが目的でセミナーに参加されるといっても良い。

 先日のセミナーでは、どのように取材されているのか、といった質問があった。一般には報道されていないので、ほとんど知られていないような企業の事例などを話すので、そのような優れた企業をどのようにして探し出すのだろうか、といった主旨の質問である。

 優れた経営をしている取材先を探しだす方法はいろいろあって、簡単には説明できないのだが、その一つがセミナー終了後に名刺を交換にこられる「あなた自身」なのである。名刺交換される方はいろいろと経営努力されている。そのような経営者は自分で気づいていなくても必ず何か優れた点を持っているからだ。そこで、日を改めて訪問し、取材をさせていただくという話になる。

 優れた経営者の条件の一つに、社員個々人のポテンシャルを見抜く能力がある。一見あまり能力がないような社員でも、非常に優れた潜在能力をもった人がいる。その潜在的なポテンシャルを見抜いて抜擢し、その人の能力が開花したことで企業業績が飛躍的に伸びたような事例もある。

 それと同様で、ほとんど知られていない優れた企業(経営者)を見つけだす方法の一つが、名刺交換したその瞬間の職業的直感なのである。そんなこんなで、新しい取材先がいくつかできたことになる。いずれも名刺交換にこられた事業意欲のある経営者の人たちだ。

2013年11月18日

仕事の合間の贅沢

 仙台で取材があり、翌日は茨城県の大洗で講演があった。そこで仙台から郡山まで戻って1泊し、翌日9時18分郡山発の水郡線で水戸に向かった。水戸着が12時39分で、水戸からは鹿島臨海鉄道大洗鹿島線に乗り換えて3つ目が大洗駅だ。大洗は亡き母の生まれ故郷である。

 水郡線は郡山を出ると、阿武隈川に沿うように走り、途中の山間部を過ぎると、やがて久慈川に沿うように走って水戸に着く。途中の山間部といっても標高がそんなに高くはないし、人家も点在しているので中山間地域と言った方が良いかもしれないが、それらを除くと、平野部の田園風景がけっこう続く。刈り入れの終わった田んぼの所どころには、脱穀を終えた藁束が立てかけられてある。いく枚もの田んぼの中を縫うように小川が流れている。こんな田園風景を、のんびりと走りゆく車窓から漫然と眺めていると、のどかで気分がゆったりしてくる。

 民家の庭先には、すっかり葉を落とした柿の木に熟した柿の実がたくさんなっている。いかにも秋を思わせる風景で印象深いのだが、どの家の柿も誰もとらずに、そのまま朽ちゆくのではないかと思わせる光景だった。最近の子供たちはあまり柿を食べないらしい。少子化で子供の数が少ないこともあるのだろうが、自分が子供のころは柿の木に上って、1つか2つ柿をとって毎日おやつ代わりに食べたものだ。木に登れないような小さな子には、年上の子がその分をとってあげるのがごく自然のことだった。そのような行為が繰り返されながら、それぞれが成長していったのである。

 子供に限らず大人もだが、自然になっている柿は食べる対象ではなく、スーパーなどの店頭に並んで売られている柿が食べ物という認識なのかもしれない。どうも最近のご時世は、昔と感覚が違ってきている。

 郡山から水戸までの所要時間の3時間21分にしてもそうだ。新幹線のぞみなら、東京と新大阪間は2時間30分余。それを考えると郡山から水戸まで水郡線で移動するなど、マニアか変人と思う人もいるだろう。だが、ゆったり、のんびりの移動も、時間に追われる仕事の合間の贅沢なのである。

 大洗では海に面したホテルに泊った。部屋にいると大きな揺れを感じた。20時44分に千葉県北西部で発生した地震である。ニュースでみたらマグニチュードが5.4というから、大きな地震である。このホテルは東日本大震災の時に1階部分が津波の被害にあった。そこで万が一、津波でもあった場合にはチャンと記録しようと思い、コンパクト・デジカメを持ち、部屋の窓を開けて海を注視していたのだが、幸い津波はなかった。

2013年11月11日

偽装でも食べたい

 食品偽装が次から次へと出てくる。だが、個人的にはそんなに驚いていない。高級ホテルのレストランや、百貨店などだから問題が大きくなっているだけで、そうでなかったら大したニュースにもならないはずだ。あの店なら然もありなん、といったところだろう。

 もちろん、偽装は批判されるべきである。客をだまして利益を得ているのだから、故意であったならば詐欺といわれても仕方がない。謝罪会見では、ほとんどが故意ではなかったかのように釈明しているが、たいていの人は確信犯と受け止めているだろうと思う。

 偽装する側は、おそらく客を見下していたのではないか。自分たちの店で食事をするのだから所得の多い客だろうが、しょせん味など分かりはしない人たちなので偽装しても大丈夫という気持である。

 実際、偽装がばれるまで分からなかったのだから、舌の肥えた客とはいえないだろう。要するに、客の方も何処どこのレストランで食事をした、何なに百貨店で購入した食材ばかりを食べている、ということに満足を得ているのである。だから満足感を食した(買った)のだと思えば良いではないか、という見方もできる。

 衣服やカバンなどでも、腕の良い職人がオーダーメイドで製作したものは素晴らしい。だが、その良さが分からなければ、しょせんノーブランドに過ぎない。それに対してブランド品なら、あれは最低でもいくら以上する高額品、と多くの人がみてくれる。つまりブランドは誰にでも分かる「価格」だが、ノーブランド品の価値はみる側に判断力がなければ評価できないのである。誰にでも判断できるところにブランドという「価値」があるのだといわれれば、そうかもしれないが。

 いずれにしても、量販店のバーゲン品を身に着け、今日は豪勢な食事だといっても、せいぜいファミリーレストランという我が生活。たとえ偽装であっても、謝罪会見しているようなレストランで一度は食事をしてみたいものだ。

 そういえば、「物流コラム」としているので一言つけ加えておこう。実は、物流面から納品されている食材を調べれば、メニューの偽装などを推測するのは簡単なことである。

2013年11月 4日

守秘義務と報道の判断

 「特定秘密保護法案」が俎上にのっている。為政者が恣意的に特定秘密を指定できる点に問題がある。国民の知る権利や報道活動にも一見配慮しているようだが、法律が成立してしまえば、権力側の都合でいかようにも解釈や運用が可能だ。国家公務員法(第100条)や地方公務員法(第34条)でも公務員の守秘義務が定められているのだから、厳格に執行すればそれで良いのではないか。

 いまは行政などの秘密に関係するような取材はしていないが、むかしは国家秘密ほどのレベルではないものの、行政の〈秘〉ぐらいの資料のコピーを入手するような取材もしていたことがある。ある時、某中央官庁の〈秘〉資料を手に入れた人(名前は知っていた人)が、誤字・脱字までそっくり活字にして公表してしまったことがある。〈秘〉とはいっても内容からすると、通常なら大騒ぎをするほどのことはなかったのだが、問題が大きくなってしまった。当該省庁管轄のある法律の改正が予定されていたのだが、その法律改正に反対していた勢力が、改正阻止とバーターにするためにことさら騒ぎだしたのである。その他にもいくつかのステークホルダーの思惑が絡んで、大きな問題になってしまった。

 小生も同じ〈秘〉のコピーを入手していたが、さすが警察の捜査力はすごく、任意で事情聴取されることになってしまった。出頭ではなく、刑事が出向いてくるというので身構えていた。訪れた2人の刑事は、「あなたの書いたものは全部、国会図書館で読んできた。その結果、あなたも資料を持っているだろうと推定している。しかし、内容を上手に使っていて、持っていると断定できるような書き方はしていなかった。我われは秘密資料を入手するのはジャーナリストの仕事であり、当然だと思っている。また、それを上手に使うのがプロだ。ところが誤字・脱字までそっくり公表するような程度の低い者がいるから、我われも余計な仕事をしなければならないし、立場上あなたにも迷惑をかける」というようなことを言われた。

 そこで事情聴取は形だけで雑談になった。もちろん、何気ない雑談も彼らのテクニックかも知れない。その手に乗ってはいけないので、慎重に言葉を選んで対応したのだが、プロと認めてもらえたことが内心では嬉しかった。27、28歳当時のことである。

 守秘義務は公務員だけではなく、職業によっては守秘が求められる。法的な義務はなくとも道義的な「義務」もある。かりに秘密情報を入手したとしても、公表すべきか公表すべきでないか、また公表するとしてもどのように公表したら良いか、といったことは報道する立場で自主的に判断すれば良いことだ。その判断基準は国民の利益にとってどうか、である。

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