偽装でも食べたい
食品偽装が次から次へと出てくる。だが、個人的にはそんなに驚いていない。高級ホテルのレストランや、百貨店などだから問題が大きくなっているだけで、そうでなかったら大したニュースにもならないはずだ。あの店なら然もありなん、といったところだろう。
もちろん、偽装は批判されるべきである。客をだまして利益を得ているのだから、故意であったならば詐欺といわれても仕方がない。謝罪会見では、ほとんどが故意ではなかったかのように釈明しているが、たいていの人は確信犯と受け止めているだろうと思う。
偽装する側は、おそらく客を見下していたのではないか。自分たちの店で食事をするのだから所得の多い客だろうが、しょせん味など分かりはしない人たちなので偽装しても大丈夫という気持である。
実際、偽装がばれるまで分からなかったのだから、舌の肥えた客とはいえないだろう。要するに、客の方も何処どこのレストランで食事をした、何なに百貨店で購入した食材ばかりを食べている、ということに満足を得ているのである。だから満足感を食した(買った)のだと思えば良いではないか、という見方もできる。
衣服やカバンなどでも、腕の良い職人がオーダーメイドで製作したものは素晴らしい。だが、その良さが分からなければ、しょせんノーブランドに過ぎない。それに対してブランド品なら、あれは最低でもいくら以上する高額品、と多くの人がみてくれる。つまりブランドは誰にでも分かる「価格」だが、ノーブランド品の価値はみる側に判断力がなければ評価できないのである。誰にでも判断できるところにブランドという「価値」があるのだといわれれば、そうかもしれないが。
いずれにしても、量販店のバーゲン品を身に着け、今日は豪勢な食事だといっても、せいぜいファミリーレストランという我が生活。たとえ偽装であっても、謝罪会見しているようなレストランで一度は食事をしてみたいものだ。
そういえば、「物流コラム」としているので一言つけ加えておこう。実は、物流面から納品されている食材を調べれば、メニューの偽装などを推測するのは簡単なことである。
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