« 原爆ドーム | トップページ | 冤罪と責任の所在 »

2014年3月24日

自戒を込めて

 いつ書こうかと決めかねていたのだが、そうそう先延ばしもできないので、自戒を込めて書くことにした。2月3日づけで「『権威』と『常識』の革新」と題して書いた内容についてである。

 STAP細胞と小保方晴子さんについて、「清々しさを感じさせるニュース」とし「『学問』業界の『権威』と『常識』を覆したという意味でもイノベーション」と書いてしまった。報道などを通して、その後の展開をみる範囲では、一部がコピペであったことを小保方さん自身も認めているようだ。STAP細胞などに関する専門的なことは全く分からないが、博士論文や権威ある専門誌に掲載された論文に、まさかそのようなことがあろうとは疑ってもみなかった。

 仕事で書く文章は、自分なりに裏づけをもった内容しか書かない。それでも取材不足の部分についても触れないわけにはいかないような場合には、裏づけが充分でないとか、推測であることなどを正直にことわった上で書くようにしている。また、使用する語彙や用語なども、質問されても答えられるように自分なりの解釈ができる言葉でしか書かないようにしている。だが、このコラムは仕事とは関係ないので、つい気が緩んで慎重さに欠けてしまった。たとえ個人的な文章でも、ネット上で公にしている以上は責任がある。反省しなければならない。

 当コラムは仕事に関係ないとはいえ、他者の文章の引用や、データなどを使用する場合にはクレジットを入れている。これは常識だ。昔から「糊と鋏」という表現があった。他人の文章などを切りぬいて貼りつけたりしていながら、自分のオリジナルの文章として発表することである。インターネットが普及し、パソコンで文章を書くようになった現在では、昔の「糊と鋏」を「コポー&ペースト」という。コピペも学生が提出したリポートなどであれば分からなくもない。だが、博士論文や専門誌に堂々と発表するとは思いもしなかった。

 今回の件では解せないことが多い。その一つは、共同執筆者がたくさんいながら、誰も気づかなかったことである。もう一つは、発表前に研究所で論文の内容をチェックするはずなのに、チェック機能が結果的には働かなかったという点である。

 それにしても、人間にとって容姿は重要な要素の一つだな、と思う。現代のベートーベンなら「みるからに胡散臭い。彼ならさもありなん」と受け止める。だが、小保方さんの場合には「まさか?」という思いが先にくる。最初は、嫉妬で足を引っ張ろうとアラさがしが始まったのではないかと思ったほどだ。小保方さんはオトナの打算や利害の犠牲になったのではないか、という思いをいまでも払拭しきれずにいる。

« 原爆ドーム | トップページ | 冤罪と責任の所在 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事