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2014年3月31日

冤罪と責任の所在

 いわゆる袴田事件の袴田巌さんの再審開始の決定を静岡地裁が出した。死刑執行も停止され、袴田さんは東京拘置所から釈放された。逮捕から48年ぶりだという。

 事件が起きたのは1966年6月だった。自分が高校3年生の時である。当時の同級生のほとんどが、現在は定年退職している。48年というのはそれほど長い歳月なのである。そのように考えると、袴田さんの人生は何だったのか、と思わざるを得ない。

 静岡地裁が再審開始を決定するということは、死刑判決が間違った判決だった可能性が高いので、裁判をやり直さなければいけない、と判断したことを意味する。再審開始決定を直接読んではいないが、報道されている範囲でみても、証拠捏造の疑いまで指摘されているようだ。そうなると冤罪である。

 袴田さんが無罪だったとなると、他に真犯人がいることになる。袴田さんが無罪であることを一番良く知っていたのは真犯人だ。その袴田さんの死刑が、もし執行されていたとしたら、真犯人は事件で犯した殺人の他に、もう1人殺害したのと実質的には同じことになる。

 この真犯人と同罪といっても良いのが、事件当時の捜査などに関わった警察、検察の関係者たちである。静岡地裁が判断したような証拠捏造の疑いがあるとすると、捏造に関わった当事者たちの責任はどうなるのだろうか。

 法律の知識などない素人考えに過ぎないが、袴田さんを犯人に仕立てるために意図的に証拠を捏造したとしたら、これは明らかな犯罪ではないのだろうか。また、そのような意識はなく職務に忠実だったに過ぎないが、結果的には証拠捏造に関わってしまったのだとしても、業務上過失とはならないのだろうか。さらに、物的証拠などの不十分さを見抜けなかった裁判官たちの職業上の責任や、良心の呵責といったものは...。

 事件に関わった当時の警察、検察、裁判の関係者は、いまは定年退職して年金生活であろう。袴田さんの人生の48年を奪っても、自分の老後が平穏ならそれで良いと思っているのだろうか。

 冤罪の責任は誰がどのようにとるのか。といっても48年間という人生を償いようがないのだが。

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