もの忘れ
このごろは歳とともにもの忘れが激しくなってきた。つい最近のことが思い出せない。ずっと昔のことは覚えているのに変な感じだ。
仕事以外ではあまり本を読まなくなった。読まない時には2~3週間も本を読まないこともある。その反面、読みだすと立てつづけに2、3冊を4、5日間で読んでしまう。そんなことを周期的に繰り返している。
先週は文庫本を3冊ほど一気に読んだのだが、3冊目を読んでいる時のことである。この本の前には何を読んだんだっけ、と考えたのだが全く思い出せない。1冊目に読んだ本はタイトルも著者も大まかな内容も覚えているのに、直前に読んだ本についてはタイトルや著者はもとより、どんな内容だったかも忘れてしまっていたのである。
そこで必死に思いだそうとしたのだがダメである。もの忘れがひどくなったものだ、とがっかりしていたら、そうだ! と思いだした。ある期間だけ記憶がなくなってしまうという筋書きの本を読んだのである。自分が犯罪を犯したような気がするのだが思い出せない、記憶を喪失している間に犯罪を犯していたという内容の本だった。もの忘れ、もの忘れという嘆きが、直前に読んだ本を思い出すキッカケになったのである。これには苦笑するしかなかった。
最近のことを忘れてしまうのは自分だけではないようだ。3月11日に政府はエネルギー基本計画を閣議決定したが、原発を重要なベースロード電源と位置づけている。再稼働や新増設などへの道を開いたことになる。福島第一原発事故は終息していないし、原因の究明もできていないのにである。
安全基準を満たせばという条件なのであろうが、従来も安全基準を満たしていたのではなかったか。もちろん福島第一原発の事故を受けて安全基準を強化したのだろうが、本当に安全なのだろうかという疑問を払拭することはできない。もし、本当に安全だというのであれば、電源三法交付金制度いわゆる原発交付金を廃止しても良いのではないかと思う。原発交付金は、建前としてはいろいろな理由をつけているが、本質は「危険手当」だ。本当に安全と言い切るならば、「危険手当」の必要はない。「危険手当」をなくせば、特別会計支出も含めてコストを低減することができる。国民も産業界も大いに歓迎するところではないだろうか。
あれ、もの忘れについて書こうとしていたはずだった。途中からすっかり忘れてしまったようだ。
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