幼稚化
野々村竜太郎兵庫県議(その後に辞職)には驚いた。テレビのニュース番組で記者会見の映像が放映されたのだが、泣き叫ぶ姿を見て「なんじゃ、これは」とビックリした。まるで泣き叫んで駄々をこねる幼児である。会見の内容よりも、これが県議なのか! というのが率直な感想だ。同時に、恥ずかしくないのだろうか? と思わざるを得なかった。本人はもちろん、選挙で投票した人たちも含めてである。現在は虚偽公文書作成さらには詐欺容疑も視野に捜査が行われている。
その後、今度は東京の金子洋中野区議の引責辞職である。集団的自衛権についてツイッターで議論し合っていたようだが、「おまえこそ人間のくずだ。死ね!」と書きこんだという。新聞報道などで知る限りでは、集団的自衛権について良く理解もしていないくせにと、相手を見下しているような姿勢が感じられる。本人は「人間のくず」とか「死ね」という表現について反省しているようだが、そのような表面的な問題ではなく、もっと内面的で根本的な部分での反省が必要ではないかと思う。要するに、見下している相手と、自分が同じ次元であることに気づくことだ。
小保方晴子氏の博士論文に関する早大の調査委員会の報告も良く理解できない。著作権侵害などを含む26カ所の問題点があり、そのうち6カ所を不正としながら、規定上から博士号を取り消さないという内容だ。しかも「誤って」草稿を提出し、問題が表面化してから「本物」に差し替えたようだが、そんなことがまかり通ってしまうらしい。単純に解釈すると、大学入試で採点が終わってから、「誤って下書きの回答用紙を出してしまったので、正式の回答用紙を出し直します」という論理が通用することになってしまう。今年度に早大を受験する人たちには朗報といえる。ご本人は「反省しております」とのことだが、この間の一連の推移をみると、本当に反省しているようには受けとれない。
これら3人には共通点があるように思う。1つ目は、受験勉強などには秀でている小利口な人たちだということ。第2は、狭い世界だけで生きてきて、あまり世間を知らないのではないかということ。第3は、自分を客観視することができず、自己主張すれば通用すると勘違いしているのではということである。
これは、スマートフォンの画面をみながら、相手が避けてくれるだろうと直進してくる人たちと同類だ。いずれにしても幼稚化と表現できるのではないだろうか。
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