大震災被災地再訪
先週は岩手県陸前高田市と宮城県気仙沼市の会社を取材した。陸前高田市で訪ねたのは、6月2日の当コラム(風化と慣れ)で「7月にぐらいに再び訪ねて取材することになった」と書いておいた会社である。同社を取材するのは2007年12月以来なので約6年半ぶりだ。
前回は一関からJR大船渡線で陸前高田まで行った。しかし、現在は大船渡線が気仙沼までしか行かず、その先はまだ不通のためバスしかない。そもそも乗客数の少ない路線だったので、気仙沼より先の区間が再開通されるのかどうかすら分からないようだ。
旧市街地の瓦礫の処理はほとんど終わっていて、現在はかさ上げ工事の最中である。訪問先の社長に車で案内していただいたが、ダンプなど工事関係の車両とたくさんすれ違った。また、一泊したホテルは、被災した旧市街地から高台に移転して営業を再開したとのことで、部屋の窓からは海岸や旧市街地が一望できた。その風景をみる限り、復興にはまだまだ時間がかかりそうだし、また、復興しても大震災の前とは景観が一変してしまうだろうと思った。
翌日は気仙沼の会社を訪ねた。大震災から約半年後の2011年10月に取材した会社なので、約2年9カ月ぶりの訪問である。やはり社長に車で港などを案内していただいた。
気仙沼魚市場は、一本釣りや巻網で獲れたカツオなどの水揚げで活気があった。同港は日本有数の漁港である。だが、前回の訪問時は時間が停止したような状況だった。それが今回は非常に活気があったので、嬉しく感じた。
いうまでもなく水揚げされた鮮魚は、東京などの市場にトラック輸送される。その際、競りで落札してからトラックを手配するのだが、ドライバー不足などのために車両が確保できないこともあるという。すると鮮魚としての販売ができず、加工食品に回さなければならない。鮮魚として販売できれば高値で売れるが、加工食品の原材料では販売価格が下落してしまう。
労働力不足による影響は様ざまな面に現れていることを実感する。聞くところによると、気仙沼で長年にわたって鮮魚輸送をしていた運送事業者の1社は、改善基準告示(拘束時間)の順守や、ドライバー確保難などによって事業から撤退したという。
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