スマートフォン奮戦記
約2年前の2012年4月30日づけで「iPad奮戦記」を書いた。今度はスマートフォン奮戦記である。
通信費を安くしようと、iPadに内蔵されている通信会社の定額料金で使っていたのだが、突然2倍近くの請求書がきた。消費税増税分なら仕方がないが、それをはるかに上回る。そこで確認したところ、2年間の契約期間が終了し、通信契約が自動更新して今後は毎月その料金が請求されるということだった。たいていの人は2年でタブレットを買い替えて、通信も契約し直しますという。
それならiPadは止めにして、携帯電話をスマートフォンにしようかと思った。文字が小さいが、そんなに使うわけではない。するとその翌日の朝、携帯電話が壊れたのである。ディスプレーと文字盤を接続する折りたたみの部分が一部欠けてしまった。使用には差し支えないが、開いたりたたんだりがスムースに行かず使いづらい。そこで、iPadの通信会社との契約を解約し、量販店のスマートフォン売場に直行した。
iPadを小さくして電話機能がプラスされただけだろうと思っていたのだが、いざ操作してみるとなかなか難しい。試行錯誤しながら、あれこれいじっていたら電話がきた。セミナーのディスカッションでコーディネーターをやってくれ、という話である。最初に受けた電話が仕事のオファーなので、このスマートフォンは縁起が良いな、代替えして正解だったと喜んだ。そして良いことは続くものだと思っていたら、2番目に受けた電話も、研修会の講師の依頼だった。このスマートフォンはツキがあるから、2度あることは3度あると欲をかいて期待していたら、3番目の電話は野暮用だった。これで完全にツキが落ちてしまい、その後は以前のように平凡で貧困な日常に戻ってしまった。
それにしても、昔のように回線電話が一家に1台の時代と比べたら、家計支出に占める通信費の割合ははるかに多くなった。中学生以上の子供2人がいる4人家族なら、固定電話と携帯電話4台が普通であろう。それだけの支出はどこから捻出されるのだろうか。新聞書籍購入費が削減されているはずだ。
だが、それで生活が豊かになったのだろうか? フランスの経済学者トマ・ピケティ氏が書いた『21世紀の資本論』が世界的に売れているようだ(2013年に仏語で出版し、2014年に英語版がでてヒット。邦訳版は今年12月の予定という)。「相対的および絶対的窮乏化」などを論じあった若かりしころの方が、牧歌的で精神的には豊かだったなどと考えながら、オファーが入ってこないかとスマートフォンのディスプレーをじっと眺めている。
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