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2014年9月29日

秋の夜長

 昨年と比べると今年の9月は秋らしい日が多かった。昨年は秋がなくて夏からすぐ冬になったような気がしたが、今年は秋を感じる。

 秋の夜長というが、韓国の仁川で第17回アジア競技大会が開かれており、毎晩、テレビ観戦するのが最近の日課のようになっている。オリンピックと比べると、日本選手の優勝や上位入賞が多いので楽しい。やはり日本選手が活躍する競技は観たくなるものである。

 大会前半は競泳が盛り上がったが、とくに萩野公介選手は傑出していた。7種目にエントリーして金メダル4、銀メダル1、銅メダル2の成績は素晴らしい。女子の渡部香生子選手もそうだが、マルチスイマーである。2人とも個人メドレーが専門のようだ。古い感覚ではバタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、自由形の総てで平均した力があり、4種目の総合力で優れているのが個人メドレーの一流選手と思っていた。しかし現在では、いずれの競技においても一流の力を持っていないと、個人メドレーの一流選手にはなれないほど高いレベルなのだと認識を新たにした。

 考えてみると体操の個人総合では昔からそうだったことに気づいた。体操の個人総合は男子は6種目、女子は4種目だが、総合で優勝するような選手は個別の競技でも優勝あるいは上位の成績を残していた。それに対して陸上の十種競技(男子)、七種競技(女子)の場合には、個別の競技でも上位に入るようなケースは、自分が知っている限りではあまり見られない。

 マルチなトップクラスの選手と、その競技のスペシャリストであるトップ選手との競争は、競技の勝敗以外でも興味深い。その競技に専念しているスペシャリストとしては意地でも負けられないだろうし、マルチな選手は個別競技でも勝ちたいと努力するだろうし、双方の心理的な戦いも勝敗に大きく影響するのではないだろうか。

 物流事業者でも同じようなことがいえる。「引き合いがきた仕事は何で請ける」という方針の事業者もいる。その場合、どの様な仕事でもそこそこにはこなせるので売上をつくるために請けるというのと、どのような内容の仕事も一流のレベルでできるから請けるのでは大きな違いだ。自分が一流のレベルにはない内容の仕事は断る、というのもスペシャリストとしてのプライドであろう。

 そんなことを考えながら、秋の夜長を過ごす今日この頃である。

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