« 2014年11月 | トップページ | 2015年1月 »

2014年12月

2014年12月29日

年末年始とガラガラ族

 今年最後のコラムである。年の瀬になると当事務所がある新宿駅西口の近辺にはキャリーバックを引きずるガラガラ族が多くなる。年末年始の休暇で旅行や帰省する人たちだ。

 ガラガラ族といえば、大きなキャリーバッグを持ってロンドンから久しぶりに知人夫妻がやってきた。かみさんの同郷の同級生が約35年前に単身でイギリスに渡り、イギリス人の伴侶を得てロンドン郊外に住んでいる。今回は6年ぶりに夫婦での帰郷である。

 そこで食事をすることになり、長男夫婦も同席した。長男が高校1年生の夏休みに短期間だがステイさせてもらった。宿泊だけ面倒をみてもらい、あとは1人で行動させてほしいと頼んだのだが、2人には子供がいないので可愛がってもらったようだ。あれから、すでに20年の歳月が流れた。Mr.Wと長男は、懐かしそうに一番印象に残っていることや、今はどんな仕事をしているかなどを話し合っていた。しかし、自分たちのことになると老後の話題などになってしまう。聞くところではイギリスには定年がない。「何歳になったら辞めなさいとか、同じ仕事をしているのに何歳になったから給料を下げるとか言ったら法律違反」なのだという。

 総務省が12月26日に発表した「労働力調査」によると、非正社員が初めて2000万人を超えた。一方、正社員は減少している。非正社員は女性とともに高齢者が増えている。定年後に非正社員として継続雇用するケースが増えていることを表している。雇用が増えたと言っても、正社員の減少を非正社員の増加が上回っているに過ぎない。正社員の収入が増え、非正社員の時給が上がっても、人件費総額は少なくなる、という構造である。

 今年の年末年始は、カレンダーの関係で12月27日から1月4日までの9連休の人が多いようだ。そこで旅行に行ったり、帰省したりするガラガラ族が街中や乗り物の中に増えてくる。だが、このような人たちは幸せといえる。非正社員で日給制の人にとっては9連休は収入が減るのできつい。そこで生活のために年末年始の間に、別のアルバイトをする人もいる。

 ガラガラ族の集団が去った後、ユニフォームを着て黙々と清掃する人の姿が印象に残る年の瀬である。

2014年12月22日

寒波と大雪

 寒波が日本列島を覆っている。それにともない全国各地で大雪に見舞われた。雪には慣れているはずの地方ですら、あまり経験のないような大雪のために、様ざまな影響がでている。ましてや、あまり雪が降らない地方では大変だ。

 雪が降ると頭に浮かぶのがトラック輸送への影響だ。事故の危険性もあるし、物流が停滞するという問題もある。輸送途中で身動きが取れなくなってしまったトラック・ドライバーの人たちの苦労は大変だろうと思う。

 ずっと以前、自分が車を運転している時に雪に見舞われた。緩やかな上り坂の先の信号のあるT字路で、発車できない車が多発して大渋滞になった。やっとT字路の信号の近くまで進んだが、赤信号で停止した。自分の前には数台の乗用車がいる。信号が青になったが先頭車が発車できない。すると自分より数台後ろにいた大型トラックのドライバーが、車から降りて先頭車のところまでいき、窓を開けさせてアクセルの踏み方やハンドルの切り方などアドバイスをはじめた。その後ろの車も指導し、ゆっくりだが順番に発車できるようになった。トラック・ドライバーの中には、いらいらしてクラクションを鳴らし、発信できない車をあおるような人もいる。それに対して、これぞプロのドライバーと感心した。

 そのエピソードをある所に書いたことがある。その後、めったに雪の降らない地方で大雪になった翌日、前まえからの予定でその地方に取材にいった。すると取材先の会社の社長が、「前に森田さんが書いていたのと同じような場面に、昨日、遭遇しましたよ」という。乗用車で移動中に、大雪のため信号のあるT字路で大渋滞となった。やはり信号が青になっても先頭車両がなかかな発進できない。すると社長の車の後ろにいたトラックのドライバーが降りていって先頭車を後ろから押しだした。続く車も順番に押して発進させている。それをみて「自分も運送屋の親父だから、手伝わないわけには行かなかった。おかげで服が泥だらけになったよ」と笑っていた。全く知らない運送会社のドライバーだったが嬉しかったという。

 今冬は、これから先も雪が多いのだろうか。

2014年12月15日

今年も残り半月

 今年も残り僅か半月となってしまった。しかし、年の瀬という感覚が乏しい。淡々と時間だけが過ぎていくような感じだ。

 先週は山形市と寒河江市などを取材してきた。先々週がタイとカンボジアだったので、気温30℃から一気に東北の冬の世界である。気温差は大きいが、おかげさまで体調と気力は問題ない。

 取材先を訪ねるにはタクシーをよく利用する。タクシーに乗ると、運転手の人に最近の景気などを訪ねることにしているが、今回は誰もが共通して「選挙でタクシー利用者が少ない」といった主旨の答えを返してきた。通常なら忘年会シーズンで客が増える時期なのだが、選挙で忘年会が減っているのだという。なかには「選挙でGDPが下がる」などと冗談をいうドライバーもいた。しかし、選挙後に忘年会が増えてタクシーの利用客が増加するのを期待すると、ドライバー全員がいっていた。

 出張先のホテルでは、たいていマッサージを頼む。マッサージの人にも景気などを聞くことにしているのだ。複数のホテルと契約しているマッサージの人たちは、ビジネス客や観光客の増減などに詳しい。自分の商売に直結しているからである。なかにはビジネス関係の宿泊者の特徴まで教えてくれる人もいる。たとえば、以前は首都圏から営業などでくる人が多かったが、最近は首都圏からでも日帰り出張が増えてきた、といったようにである。そして、タクシーの運転手の人たちと同様に、ホテルの宴会場での忘年会も、今年は選挙で減っていると話していた。忘年会のキャンセルなどもあったということだった。

 選挙関連の業種では、予想外の年末選挙という「特需」で忙しかった人たちもいただろう。反対に、選挙で稼ぎ時の仕事が減った業種の人たちもいる。これらのプラスとマイナスが僅かとはいえGDPにどのように影響するのだろうか。

 GDPといえば、大方の予想に反するマイナスだった。在庫減少がGDPではマイナスに作用するので、心配はないという意見もある。だが、国債という借金を増やして公共投資につぎ込んだ分はプラスに作用する。これには、あまり触れられていない。統計数字などは、自分にとって都合の良い部分だけを使う。だから他人の発言や主張をそのまま信じるのではなく、結局、自分自身で判断しなければいけないのである。

 それはともかく、選挙結果はご周知の通りであった。さて、来年はどうなることやら...。

2014年12月 8日

アンコールワット

 12月1日~6日の間、タイのバンコク、アユタヤからカンボジアのプノンペン、シェムリアップを周ってきた。両国のコールドチェーンの現状などを探る目的である。現地にある日系の大手食品メーカーの工場や、物流会社の現地法人などを視察させていただいた。

 シェムリアップではアンコールワットやアンコールトムその他のアンコール遺跡群、それにトンレサップ湖の船上生活なども見学した。自分がアンコールワットを知ったのはかなり昔である。小学生のころ「怪傑ハリマオ」というテレビ番組があり、その中でアンコールワットが出てきたのですごいなと思ったものだった。実際に行って目の当たりにすると、そのすごさが実感できた。約900年も前にこのようなスケールの建造物を造ったのだから、当時の経済力がいかに大きかったかが分かる。

 アンコールワットからバンテアイ・スレイに行く途中の車窓からは、広大な平地に稲の穂が実っている風景が見えた。年に2度収穫できるということなので、農耕が経済の主流だった時代には豊かだったろうと想像できた。アンコール遺跡群は、仏教とヒンズー教の争いの痕跡という見方もできるが、いずれにしてもその基底には、当時のカンボジアの経済力があった。そのような意味では、アンコール遺跡群は過去の繁栄の証でもある。

 一方、カンボジアには悲しい歴史もある。ここ50年ぐらいを振り返っただけでも、ポル・ポト政権という悲惨な時代があった。ロン・ノル政権の腐敗などに対する反動もあって、1975年にポル・ポト率いるクメール・ルージュが政権を握った。ポル・ポト政権下で約200万人が虐殺されたとも言われている。また、虐殺されたわけではないが、ろくな食べ物も与えられずに重労働を強いられたため、衰弱や病気などで亡くなった人たちが約100万人いるという。合わせて約300万人である。

 さらにロン・ノル政権が崩壊した後も内戦が続き、やっと平和になってから、まだ約15年に過ぎない。プノンペンとシェムリアップでは34歳、35歳のガイドが案内してくれたが、彼らが20歳前後の時に平和が訪れた。2人とも「命の心配がなくなった」ことが嬉しいと言っていた。

 日本にたとえれば、20歳前後で敗戦を迎えた人たちが復興に取り組み(実際には個々人が自分の幸福を追求した結果なのかも知れないが)、約15年後の1950年代後半に高度経済成長の入口にたどり着いた。今のカンボジアはそれと同じような段階にあるのかなと思う。したがって、これから経済が発展していく。

 だが、経済発展だけが人の幸せとは限らない。約900年前の繁栄のシンボルともいえるアンコールワットは、これからの未来のカンボジアもずっと見続けていくだろう。

2014年12月 1日

「人」が「人々」だった時代

 前回のコラムでは高倉健さんについて書いた。企図したわけではないが、今回も関連したような内容になってしまう。

 高倉健さんを追悼して、テレビでは健さんが主演した映画を放送している。最近「あなたへ」と「幸福の黄色いハンカチ」をテレビで観た。「あなたへ」は健さんの最後の映画になってしまったが、晩年の味わい深さを実感した。それに対して「幸福の黄色いハンカチ」では昔を再発見した。とくに最後の方のシーンである。

 光江(倍賞千恵子さん)が黄色いハンカチを掲げて待っていてくれるかどうか。ためらう島勇作(高倉健さん)を小川朱美(桃井かおりさん)が、ともかく確認しようと説得し、花田欣也(武田鉄矢さん)が運転する車で夕張に行く。この時、3人が乗る車の窓から流れる夕張の街の風景をみて懐かしかった。

 夕張を訪ねたのは1987年6月下旬である。上砂川町の三井砂川炭鉱が閉山になったのが同年7月14日。閉山を直前にして、石炭輸送をしていた中小運送事業者への影響などをリポートするため、上砂川だけでなく岩見沢、美唄、赤平、芦別、歌志内、滝川そして夕張などを取材した。「幸福の黄色いハンカチ」の公開は1977年10月なので、映画に映っている街並みは、自分が訪れる約10前の風景である。だが、自分の記憶とほとんど変わらない。

 それよりも、映画をテレビで観ていて驚いたのは、夕張の街並みを往来する人の多さだった。炭住などで密集しているからだけではない。エキストラがいるかも知れないが、それでも当時の自然な日常を写しているはずだ。道端で遊ぶ子供たちの姿も多く、あの時代には「人」ではなく「人々」がいたことを改めて再発見したのである。子供はもちろん「人々」が生活しているのが当たり前だった...。

 あれから、すでに27年も経つが、いまでも鮮明に記憶に残っているものがある。その1つが三笠にあった「幾春別」という駅名だ。一説によると、アイヌ語のイ・クイ・ウン・ペット(彼方の川)から郁春別となり、幾春別になったという。しかし、幾春別という駅名は北の大地にふさわしいと思ったものである。さらに感慨深かったのは、鉄道の廃線に伴って幾春別駅が廃駅になったのが、三井砂川炭鉱閉山の前日の7月13日だったこと。奇しくも閉山と廃駅になる3週間ほど前に訪ねたのだった。

« 2014年11月 | トップページ | 2015年1月 »