アンコールワット
12月1日~6日の間、タイのバンコク、アユタヤからカンボジアのプノンペン、シェムリアップを周ってきた。両国のコールドチェーンの現状などを探る目的である。現地にある日系の大手食品メーカーの工場や、物流会社の現地法人などを視察させていただいた。
シェムリアップではアンコールワットやアンコールトムその他のアンコール遺跡群、それにトンレサップ湖の船上生活なども見学した。自分がアンコールワットを知ったのはかなり昔である。小学生のころ「怪傑ハリマオ」というテレビ番組があり、その中でアンコールワットが出てきたのですごいなと思ったものだった。実際に行って目の当たりにすると、そのすごさが実感できた。約900年も前にこのようなスケールの建造物を造ったのだから、当時の経済力がいかに大きかったかが分かる。
アンコールワットからバンテアイ・スレイに行く途中の車窓からは、広大な平地に稲の穂が実っている風景が見えた。年に2度収穫できるということなので、農耕が経済の主流だった時代には豊かだったろうと想像できた。アンコール遺跡群は、仏教とヒンズー教の争いの痕跡という見方もできるが、いずれにしてもその基底には、当時のカンボジアの経済力があった。そのような意味では、アンコール遺跡群は過去の繁栄の証でもある。
一方、カンボジアには悲しい歴史もある。ここ50年ぐらいを振り返っただけでも、ポル・ポト政権という悲惨な時代があった。ロン・ノル政権の腐敗などに対する反動もあって、1975年にポル・ポト率いるクメール・ルージュが政権を握った。ポル・ポト政権下で約200万人が虐殺されたとも言われている。また、虐殺されたわけではないが、ろくな食べ物も与えられずに重労働を強いられたため、衰弱や病気などで亡くなった人たちが約100万人いるという。合わせて約300万人である。
さらにロン・ノル政権が崩壊した後も内戦が続き、やっと平和になってから、まだ約15年に過ぎない。プノンペンとシェムリアップでは34歳、35歳のガイドが案内してくれたが、彼らが20歳前後の時に平和が訪れた。2人とも「命の心配がなくなった」ことが嬉しいと言っていた。
日本にたとえれば、20歳前後で敗戦を迎えた人たちが復興に取り組み(実際には個々人が自分の幸福を追求した結果なのかも知れないが)、約15年後の1950年代後半に高度経済成長の入口にたどり着いた。今のカンボジアはそれと同じような段階にあるのかなと思う。したがって、これから経済が発展していく。
だが、経済発展だけが人の幸せとは限らない。約900年前の繁栄のシンボルともいえるアンコールワットは、これからの未来のカンボジアもずっと見続けていくだろう。
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