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2015年1月19日

20年前

 20年前の1月17日に阪神淡路大震災が起きた。発生から20年ということでマスコミは大きく報道したが、そのなかの1つに震災発生当日に被災地で産声を上げた人の現在をとりあげたものがあった。ちょうど今年は成人式である。歳月の流れを感じさせるが、被災者の人たちの中には時が止まったままという心情もあるのではないだろうか。

 阪神淡路大震災が発生した時刻に、自分は通勤電車の中だった。当時、勤めていた業界新聞社に着いてから大地震の発生を知った。まだパソコンも携帯電話も持っていなかったので、被災地の状況をリアルに知る手段はラジオかテレビである。惨状を視覚的に伝えるのはテレビの画面だった。とくに高速道路が倒壊している映像には驚いた。

 その業界紙には関西支社があったので、彼らは大丈夫だろうかと心配だった。しかし、なかなか連絡が取れない。結果的には関西支社の社員とその家族に人的被害はなかったので不幸中の幸いだったが、住居に被害が出た人もいた。

 全国のトラック協会では緊急支援物資輸送などを行った。しかし、関西までは行けても肝心な被災地域にはなかなか近づけなかったようだ。道路混雑などで前に進めないのである。しかも、どのような状態なのかも把握できない。通信手段が機能しなかったからである。

 当時も宅配便や路線便の集配車はたくさんあり、無線を搭載していた。被災地域内にも集配車両やドライバーは沢山いたのである。だが、当時は衛星通信を導入している事業者は少なかった(自分が知っている限りでは1社だけ)。そのため被災地域内にいるドライバーは現場の状況が分かっていても、それを全国的にはスムースに伝達できなかったのである。

 1995年は、マイクロソフト社がWindows95を発売して話題になった年でもある。これからはパソコンを使えないと、「窓(window)際族」になってしまうぞ、などと冗談を言ったものだった。

 あれから20年経って、現在はネット通信や携帯電話が当たり前の時代になった。だが、それでも人間は自然に勝てない。地震の発生や火山の噴火予知などはまだまだである。台風の進路はかなり正確に予測できるようになり、事前に避難して人的被害を最小に押さえられるようになったが、物理的被害からは逃れることができない。これから20年後の社会はどのようになっているのだろうか。

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