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2015年1月12日

寛容と非寛容

 また悲惨なテロ事件が起きた。フランスの週刊新聞「シャルリー・エブド」がテロリストによって襲われた事件である。それと連動してユダヤ教会食料品店にもテロリストが立て籠もった。いずれも早期に解決したが、多くの犠牲者がでた痛ましい事件である。

 「シャルリー・エブド」という週刊新聞については、今回の事件が起きて初めて知った。風刺精神を貫いた編集をしていたようだ。ジャーナリズムには批判精神が必要だが、批判にも様ざまな表現形式がある。その中でも風刺画はエスプリに富んだ才気と、ウェットな精神がないと描けない。だから優れた風刺画はユーモアであり、批判された当事者すら思わず苦笑せざるを得ないような力がある。もちろん、一般読者からすると笑いを通して溜飲が下がる、ということになる。

 ユーモアとは機知に富んだ批判であり駄洒落とは違う。だが、批判される側にも寛容の精神があることを前提として成り立つ。批判される側が非寛容では、風刺は成立しないのである。

 テロリストの言動に共通しているのは、一方的な自己主張はするが、批判は一切受け入れないということである。より正確にいうと、批判を受け入れないのではなく、批判に対して反批判するだけの理論がないのだ。そのため言論では自己の正当性を認めさせることができず、「問答無用」と物理的な反撃にでる以外にないのである。だから非寛容になってしまう。

 それにしてもテレビや新聞による報道をみていると、フランス社会にはフランス革命の自由・平等・博愛の精神がしっかりと根づいているように思う。襲撃された新聞社に献花に訪れる人や、大規模なデモまで行われている。自由の敵には敢然と立ち向かうという精神が感じられる。

 またフランスのメディアは「シャルリー・エブド」編集部に対して、物心両面での支援をしているようだ。朝日新聞(1月10日づけ)によると「リベラシオン」紙では、「シャルリー・エブド」の編集部が作業するために社屋のワンフロアを提供するというし、運送事業者も利益なしで発送を請けるという。

 日本でもそうだが新聞は非政権、親政権に論調が分かれる。フランスではそのような編集・報道姿勢の違いを超えて、民主主義を守るために「シャルリー・エブド」と連帯する動きが強まっているようだ。政府は風刺の格好の対象なので同紙を快く思っていないかも知れないが、民主主義の根幹に関わる問題となれば話は別である。自由・平等・博愛は、寛容の精神でもある。

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