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2015年1月26日

メール便

 ヤマト運輸が、3月31日受付分をもって「クロネコメール便」を廃止するという。事前に確認できた非信書を発送する法人の顧客には運賃体系を見直して、4月1日からは「クロネコDM便」として継続する。また、小さな荷物のニーズに対応するため、「宅急便」に新メニューを加えるようだ。

 現在「メール便」と称されるサービスを最初に始めたのはヤマト運輸。同社は1996年6月に「メール便」という商品コンセプトを明確に打ち出した。そして翌1997年3月から本格的な展開を始めたのである。当社といっても自分1人の会社(有限会社物流ジャーナリスト倶楽部)だが、設立したのが1997年3月なので何かと感慨深いものがある。

 さらに「メール便」との関わりということでは、2003年10月に『メール便戦争~1兆円市場をめぐる攻防』(プロスパー企画)を上梓した。ヤマト運輸がメール便を開始してから、民間事業者が相次いで同市場に参入し、年ねんマーケットが拡大していた。そこで国土交通省は2000年4月にメール便を定義する通達を出した。晴れて役所が「貨物輸送」として認知? したことになる。メール便はこれまで郵便物として送達されていたDMなどが主たる対象である。

 一方、総務省の郵政事業庁から日本郵便公社になったのが2003年4月だった。公社を経ていずれは株式会社化されると同時に、郵便事業は民間にも門戸を開放しなければならなくなる。その際に焦点となるのは、信書と非信書の明確化である。信書を取り扱う事業者は従来通りに総務省の行政管轄下であり、非信書はメール便事業者も取り扱いが可能で国交省の管轄下となる。

 そこで「信書」の定義が重要になるが、信書と非信書の解釈は率直にいって極めて曖昧である。拙著『メール便戦争』では、メール便の定義を国交省とは違って「郵便と同じように送達される『信書』以外のもの」とした。また「信書」についても行政が判断する必要はなく、利用者が自己責任において郵便とメール便の使い分けを判断すれば良いと考えていた。

 早いもので『メール便戦争』を書いてから約12年が経つが、「信書」の解釈をめぐる齟齬は今日まで続いている。ヤマト運輸のリリースによると、今回の「クロネコメール便」からの撤退も、「お客さまが知らないうちに信書を送ってしまうリスク」を防ぐためのものという。

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