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2015年2月23日

与那国島

 先週末には新聞やテレビで与那国が採りあげられた。昨日実施された、陸上自衛隊配備の賛否を問う住民投票の動向を伝えるニュースであった。住民投票に法的拘束力はないが、島民の意向を反映した投票結果を重視した政治対応が求められる。また、島民の間にしこりを残さないようにすることも、今後の重要な課題だ。

 テレビニュースで映し出された与那国の風景をみて懐かしかった。与那国に行ったのは2007年4月なので、あれからもう8年も経ってしまった。ずっと昔から、1度は行ってみたいと思っていた。なぜ、与那国に興味をもったかというと、敗戦後に一時的ではあるが台湾との密貿易で栄えた、といったことを何かの論文で読んだからである。まだ沖縄の施政権が返還される前だったが、日本最西端の島というのも魅力的だった。

 このように漠然とした思いはあったが、実際に行こうと腰を上げたのは、日本の最西端で沈みゆく夕陽を写真に撮りたいと思ったからだ。そうすれば次ぎは、自分の人生にも輝く朝日が昇ってくるのではないか、と期待したのである。だが、未だに日が沈んだままの人生なのは最大の誤算だったが‥。

 お世話になったホテルのおばさんは浅草生まれの江戸っ子で、かなり年齢がいってから、夫の父親の出身地である与那国に住むことになったのだという。ホテルに着いて驚いたことがいくつかあるのだが、その1つは部屋のカギがないことだった。泥棒などがいないのでカギはいらないとのこと。ただし、プライバシーの問題があるので、内カギだけはかかるようになっていた。

 レンタカーで島内の主たる所は一周した(正確には一周以上した)。もちろん西崎(いりざき)で夕陽の写真を撮ったが、在来馬の与那国馬が断崖の先端で草を食んでいる姿を撮るために、何時間もねばったことなど、懐かしい思い出である。天候によっては台湾が見えるほどの距離でしかないことも、日本の最西端を実感させた。

 ところで、密貿易で一時的に栄えたのは、敗戦で台湾が植民地から解放されたからである。ずっと昔から、島民は国境に関係なく台湾の人たちと交流していた。その後、台湾が日本の植民地になり、与那国から台湾に働きに行く人もいたようだ。台湾が解放されたので「密貿易」になったのである。ずっと昔の与那国と台湾の人たちのように、近隣の国の人たちとごく自然に仲よく交流する。それなら防衛の必要もなくなるのではないか。

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