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2015年2月16日

『21世紀の資本』

 ピケティ著『21世紀の資本』(邦訳版)をやっと読み終えた。いま話題のベストセラーだが、同著を読みたいと思ったのは昨年夏だった。2013年に仏語で出版され、2014年4月に英語版が出されるとたちまち50万部を超えて話題になった。だが、仏語も英語もできないので邦訳版が出ないかと思っていたらみすず書房から12月に出版されると聞いた。当初は今年出版の予定だったが、発売を早めたという。そのためオリジナルの仏語からでは時間がかかるので、英語版から翻訳したようだ。

 そんなことで邦訳版が出るのを昨年の夏から楽しみにしていたのだが、すっかり忘れていた。1月中旬に書店にふらっと入ったら平積みされていたので思い出し、早速、購入して読みだしたのである。しかし、本文だけでも600ページ超の大著であり、頭をフル回転して読まなければならない。しかも朝夕の電車の中だけの読書なので、読み終えるまでに延べで約1カ月もかかってしまった。

 同著がなぜ売れるのか。一般にいわれているように、世界的に格差拡大が進行しているからだろう。日本でも現政権の経済政策に懐疑的な人や、何かおかしいぞと疑問を持っている人、さらに将来の社会のあり方など、その理論的な裏付けや方向性を求めているからではないだろうか。同著は主要各国の可能な限り古くからの膨大なデータを基に分析し、独自の回答を示している。

 それにしても一種のピケティ・ブームである。解説書や入門書まで出されているほどだ。同著では小説からも当時の社会と収入構造などを傍証しているが、バルザックの「ゴリオ爺さん」の文庫版まで増刷されて書店に大量に並んでいるのには苦笑した。いわゆる便乗商法である。

 だが、同著に限らず解説書の類はいっさい読まない主義である。読むと解説書の著者の解釈が先入観として刷り込まれ、それに沿った解釈になってしまうからだ。たとえ理解の深度は浅くても、白紙の状態から自分なりの読み方をした方が良い。

 『21世紀の資本』に対しては、おそらく多くの批判が出されるだろうと思う。典型的なのはデータの限界や制約(著者がそのつど明記しているのだが)などから、論理全体を否定するというロジックでの批判である。これは批判ではあっても反論ではない。反論と呼べるような体系的な論理的展開は容易ではないはずだ。

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