春の宵
桜前線が少しずつ北上してきた。首都圏では、日中はコートがいらない。まだ朝夕は少し寒いが、それでも真冬の鋭さはなく、なんとなく春めいた気分になってくる。
むかし茨城県から新宿に通っていたころ、毎日、日暮里駅で電車を乗り換えていた。帰りは山手線から常磐線に乗り継ぐので、照明があまり明るくない常磐線のホームに立って短時間だが電車を待つ。そんな時、ちょうど今ごろの春めいたかすかな夜風を頬に感じると、このまま夜汽車に乗って当てもない旅に出たい、と思ったものだ。
むかしは上野や新宿、東京駅から夜遅く出発する長距離の鈍行列車があった。夜汽車という言葉からは、そのような深夜に走る鈍行の長距離列車が頭に浮かぶ。金はないが時間はある若者が旅をするにはちょうど良い乗り物だった。だが、そのような列車はなくなり、同時に、夜汽車などという表現も古臭くなってしまった。
夜行寝台列車いわゆるブルートレインもだんだんと廃止されてきた。また、北に向かう列車の発着駅だった上野も、最近では通過駅になってきた。夜汽車というと上野駅から乗って、というイメージが強いが、夜汽車は遠くなりにけりである。
40年以上も前になるが、東京駅から東海道線の鈍行列車に乗り、車窓から気にいった風景がみえたらその駅で下車し、周辺をぶらぶらして次の鈍行列車に乗る。真夜中に鈍行列車の終着駅に着いたら、駅のホームの待合所で眠り、翌朝の始発の鈍行列車に乗るというふうにして、四国の松山の友人に会いに行ったことがある。本州から四国には宇高連絡船で渡った。
その鈍行列車の旅では大垣駅のホームでも1泊している。20日ほど前に大垣市に行ったが、現在の駅には過日の面影さえ感じられない。もし夜中にホームに寝ていたら、おそらく不審者として扱われてしまうだろう。ひょっとすると、徘徊老人として警察に保護されてしまうか?
あてもなく 旅に発ちたき 春の宵
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