「お疲れさまぁ~」
数人の学生が授業の話などをしながら少し前を歩いている。交差点に来ると、帰る方向が違うようでそのうちの1人が別方向に分かれた。その時の別れの挨拶が、みんな揃って「お疲れ」だった。まだ午後の遅くない時間である。若い学生が、そんなに疲れるのか? それとも心身ともにくたくたになるぐらい授業に集中して勉強していたのか? もし、そうなら大したものである。
少し古い話になるが、中堅規模の物流企業の社長を取材で訪ねた時のことである。午前10時からの約束なので10分程度早く行った。受けつけのインターフォンで来意を告げると、「お待ちしていました。すぐうかがいます」と言って、総務の女性社員がエントランスまで降りて来て、役員室のあるフロアまでエレベータで行き、社長室までの廊下を先導してくれた。
その途中で別の女性社員とすれ違った。その人は当方には「いらっしゃいませ」と挨拶したのだが、女性社員同士は「お疲れさま」と言葉を交わした。おそらく2人は、その日、まだ顔を合わせていなかったのだろう。だが、まだ午前10時前である。その時間で疲れているとすると、ひねくれ者の当方としては、なんと人使いの荒い会社だと解釈してしまう。最近ではブラック企業などと言われかねない。
携帯電話で話をしながら道を歩いている人が多い。すぐ前を歩いていた若いサラリーマンが、会社に連絡の電話を掛けた。おそらく同僚が電話に出たのだろうと思われる。なんと第一声が「お疲れぇ~」であった。
ずっと昔、1日の仕事が終わって上司が「お先」と言って先に退社する時に、部下が「ご苦労さま」と応じるのはおかしい。その逆の場合で上司が部下に言うのだったらかまわないが、部下から上司には「お疲れさまでした」だろう、と聞いたことがある。たしかにそうだと思った。だが、最近は何にもかもが「お疲れさま」である。取材を終えて訪問先を後にする時、「お邪魔しました」と社員の人たちに言うと、やはりみんな揃って「お疲れさまでした」である。そんな時は「疲れてないよ」と心の中で呟く。
日本にはもっと様ざまな言葉があり、それぞれのシチュエーションにふさわしい表現があるはずだ。言葉も安易な画一化が進んでいるのだろうか。こんなことを考えながら書いていたら、本当に疲れてきたので、この辺で「お疲れさまぁ~」。
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