日本的企業
「アエラ」(4月6日号)のコピーが面白かった。「カグ主総会」である。いうまでもなく大塚家具の株主総会を指している。株主ではなく、家具屋のオーナー家の総会といった機知に富んだ皮肉だろう。
日本では上場企業でも実質的にはオーナー経営の企業が多い。2代目、3代目でも優れた経営者はいるが、それほどでもないと感じるような後継社長もいる。一方、オーナー経営ではない上場企業でも、経営のプロとしての評価よりも模範的なサラリーマンの延長として、出世の上段に到達したような人たちが多いように観える。そのなかで最上段に上りつめる人は、社内処世術その他にも優れていないといけない。
では、実質的にはオーナー経営の上場企業も、そうでない上場企業も世界の大企業と互角に競争できるのはなぜだろうか。それは組織力だと思う。社員個々人の能力という点では日本企業も外国企業も同じように優れた人材がいる。一番の違いは社内のヒエラルキーだ。どのような神輿でも担ぎ手が忠実なのは、日本企業では社内ヒエラルキー(なかには前近代的とも思えるほどの)が確立しているからだと強く感じるような場面に、取材などを通して何度も遭遇してきた。
日本は近代市民社会を経ずに、封建社会から一定段階まで進んだ資本主義社会にいきなり移行した。そのため会社組織の中に封建社会の残滓を内包している。封建時代の「一所懸命」が「一社懸命」になったのである。これが日本企業の強さでもあった。
ところが1970年代~80年代は海外市場も欧米が主だったので、欧米企業との競争では日本的組織力が力を発揮した。だが1990年代に入ると欧米市場は飽和状態になり、新たに進出する海外市場は新興国に移ってきた。同時に日本企業が強かった商品の一部がコモディティ化したことも、日本的企業の競争条件を変えた。そのためヒエラルキーが通用しなくなりつつある。
そんな日本で、人に使われるのも人を使うのも嫌だと、いろいろな仕事を転々としてきた。その結果、いまは1人で気ままなようだが、虚業の世界で1人で生きるのはけっこう大変で、それなりに「一職懸命」なのだ。
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