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2015年5月 4日

小説が現実に

 5月3日は憲法記念日。今年は敗戦70年ということもあって、マスコミ各社は改憲の是非や憲法9条などについて世論調査を行っている。

 改憲論者の中には、改憲の理由として占領下で押しつけられた憲法なので、自主的な憲法にすべきだ、と主張する人たちもいる。だが、そのような人たちほど外交、防衛政策などにおいてアメリカ追従の傾向がみられるのだから、なんとも皮肉なものだ。

 1カ月半ほど前に、赤川次郎さんの『さすらい』(角川文庫)を読んだ。書店で目に入ったので、時間つぶしに読もうと思い、軽い気持ちで購入しただけである。ところが、読んで行くうちに、時間つぶしどころか、恐ろしさを感じてきた。この小説に書かれているような社会に、日本が少しずつ近づいていると実感しているからだ。

 読まれた方もいるだろうが要約すると、日本は独裁者が支配する国になっている。愛国的な小説を書くように強要された作家がそれを拒否し、国を追われて海外で逃亡生活をしている。政府は海外にまで刺客を送り、本人だけでなく娘や孫の命までも狙う。一方、国内ではマスコミが御用機関になってしまった。権力に都合の悪いことは一切、報道されない。それどころか、心あるジャーナリストには「交通事故」が待っている。

 このように、メッセージ性の強い小説である。解説を読んで驚いたのは、この小説が最初、雑誌『小説新潮』の2002年11月号から2004年4月号にかけて連載され、2004年5月に単行本化されたということである。いまから10年以上も前に書かれたのである。それが現在、この小説が描いたような社会に日本が進みつつあることを実感する。さらに、日本がこのままの路線を進んで行くと、フィクションとして書かれたものが近い将来にはノンフィクションになっている可能性がある。優れた作家の洞察力はすごい。残念ながらそのころ『さすらい』は禁書になっているだろう。

 ところで、これは「物流コラム」だったので付言しておく。つまり近い将来には、言葉の本来の意味でロジスティクス(兵站)が重要になってくる、ということである。

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