ご都合主義
数日前、気分が乗らないのでかなり早めに仕事を切り上げて家に帰ろうとした。京王線の高幡不動駅から多摩モノレールで1つ行った万願寺が最寄り駅だが、モノレールの区間はたいてい歩くようにしている。高幡不動の駅について、早いから駅名でもある高幡不動にでも寄ってみようかという気になった。正しくは高幡不動尊金剛寺である。
正面の仁王門(重要文化財)をくぐったら、護摩修行が始まるので希望者は不動堂(重要文化財)に履物を脱いでどうぞ、というアナウンスがあった。不動堂は仁王門の正面にある。そこで不動堂に入ったら、ちょうど護摩修行が始まった。ジャスト・イン・タイムだ。これはきっと良いことがあるに違いない!
正座をして目を瞑ってじっとしていた。正座をするなんて何年ぶりだろう。最初のうちは、何かご利益があるだろうなどと雑念が頭の中を駆け巡っていたのだが、やがて何も考えなくなってきたから不思議だ。さらに、正座をして目を瞑っているうちに両方の肩の力が抜けてきた。慢性的な肩こりなのだが、すっーと肩が軽くなってきたのである。これもご利益だし、きっと邪念が払えたに違いない。
正座して目を瞑っていた時間は約30分。目を開けて立ち上がるとき、足が痺れてふらつくのではないかと思ったが大丈夫だった。だが、不動堂から出て靴をはいて歩き出した途端、きっと何か良いことがあるに違いない、という邪念が再び頭をもたげてきた。こんな心構えだからダメなのかも知れないな。
スマートフォンでネット接続すると、12星座占いが出てくるので毎日見る。また、EメールのOCNでも星座占いがあるので、やはり毎日見るのが習慣のようになっている。不思議なのは両方とも星座占いなのに、今日の運勢の順位が違うことである。両方の順位が一致するのは極めて少ない。それでも順位が2、3番違うだけなら良いのだが、一方が1位なのに他方は12位といった日もある。時計の文字盤なら12時の隣が1時なので、同じように考えれば1番違いという解釈もできなくはないのだが...。
そこで、何事においても都合の良い部分だけを信じることにした。良くない内容は無視するのである。ご都合主義も極まれりである。だがご都合主義者であっても、自分は政治家ではないことをお断りしておく。
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