« 精神的疲労 | トップページ | バス事故 »

2016年1月18日

ワクワク、ドキドキ

 今夏の高校野球選手権のキャッチフレーズコンクールで「ワクワク、ドキドキ甲子園」がグランプリに選ばれた。大阪の高校1年の女生徒の作のようだ。

 プロ野球にしろ高校野球にしろテレビで野球中継を観ることはほとんどない。もっぱらスポーツニュースで観るぐらいだ。しかし、夏の甲子園のキャッチフレーズには毎年関心を持っていた。というのは、毎年の入場曲もそうだが、それぞれの時代を反映しているように思うからである。だが、今年のワクワク、ドキドキは近年になく良いと思った。飾り気がなく、素直な気持ちがそのまま表現されているからだ。入選したいといった思惑からの技巧がなく、高校生らしい純真な気持ちが伝わってくる。

 昨年12月に、大リーガーのイチロー選手がイチロー杯争奪学童軟式野球大会の閉会式で、少年球児たちに〈目がキラキラしているのがいい。大人になるほどギラギラしてくる〉、といった主旨の話をしたという。ネットで知って、なるほど! 大人になると濁音になるか。簡潔で分かりやすい言葉で、物事の本質を突いている。一芸に秀でた人は流石だなと感心したことを思い出した。ワクワク、ドキドキとの共通点を感じたからだ。

 今回のキャッチフレーズに限らず、各種のコンクールに応募される作品の多くは、良くいえば入選するための努力がなされている。しかし、悪くいえば打算が働いているということになる。まず、コンテストの主催者が何を求めているのか。そして選考委員の顔ぶれから判断して、どのような傾向の作品が好まれ、入選しやすいか。いわば入選するための傾向と対策に沿った作品を制作する。それが悪いわけではない。たいていは、そのような要領の良い生き方のできる人が勝ち組にはいる世の中なのだから、処世術としては仕方がないともいえる。だが、何か味気ない。

 若いころは損得に関係なく、素直に自分を表現できた。それが年齢とともに、有利か不利か、損か得か、儲かるか儲からないかなど、処世で表現を使い分けるようになってくる。キラキラが濁音のギラギラになるとは実に的確な表現といえる。

 想えば様ざまなことにワクワク、ドキドキしたような若い時代もあった。もう一度あのころに戻って、今年はワクワク、ドキドキするような1年にしたいものだ。

« 精神的疲労 | トップページ | バス事故 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事