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2016年2月

2016年2月29日

足の痛い問題

 ここ半年ほど足が痛くて難儀している。そもそもの始まりは昨年の9月ごろだった。新しい靴を買って履き出したのだが、履くほどに足が痛くなってきた。それでも履いているうちに馴染んでくるだろうと履き続けた。ところが、ますます酷くなり左足の外側、小指の付け根より少し手前のあたりが腫れてきて、頂点にはイボ状のものができてきた。歩くたびに痛くてたまらない。

 そこで昨年の11月下旬ごろに、もう1足買って履き出した。だが、2足目の靴も履いているうちに、今度は右足の薬指と小指の先が腫れてきた。そこで2足を1日交代で履くようにしたのだが、ますます足の痛みが酷くなってくる。しかたがないので今年になってから、5、6年前に買ったがこれまで数回しか履かなかった靴を箱から出して履くようにした。すると靴擦れはなくなったものの、ムリをして変な歩き方をしていたためと思われるが、左の足首と足の甲が腫れてきた。

 そんなことで1カ月ほど前からカジュアルな柔らかい靴を履くようにしたのだが、それでも左足の腫れがひかない。普通に歩くと足首が痛いので、少し左足を引きずるようにしてゆっくり歩くようにしている。これまでは仕事で出かける際にできるだけ歩くようにしていたのだが、それもできずに運動不足の感もある。歩かないでじっとしていれば良いのだろうが、歩かないことには動きが取れないので、最小限は歩かざるを得ない。そのため回復しないという悪循環に陥ってしまった。

 むかし、取材の仕方やデータ原稿の書き方を教えてもらった人がいた。1人で仕事をしている人で、スーツやワイシャツはオーダーメイドだった。話によると、それよりずっと以前はフリーで取材や原稿を書く仕事も金回りが良かったらしく、ネクタイや靴もオーダーメイドだったという。小生がお世話になったころはネクタイと靴はオーダーではなかったが、スーツは全部オーダーで、時どきテーラーの親父さんが事務所に来ていた。話に聞いていた当時のスーツの値段を、現在の価格にすると4、50万円ぐらいするだろう。靴をオーダーで作ったらどのくらいの値段になるのだろうか? もちろん、高いものは際限がないだろうが。

2016年2月22日

社長役を好演

 森健著「小倉昌男 祈りと経営」(小学館)を読んだ。小倉さんご自身の著書も何冊かあり、ロングセラーになっている。また、経営者としての小倉さんについて書かれた本は多い。しかし、同著はこれらの「小倉論」とは異なる。「祈りと経営」というタイトルに象徴されるように、小倉さん個人の内面に切り込んだ好著である。

 生前の小倉さんには、記者会見のような場でお会いするだけではなく、単独インタビューもしている。また、取材とは別に講演のお願いなどにうかがったことも何度かあった。それらの関心事はすべて経営者としての小倉さんだった。 

 一般にはあまり知られていないが、「宅急便」よりも前にCtoCの小口貨物にチャレンジした会社はあった。だが、時期尚早(ライフスタイルなど市場が未成熟)だったことや、同社固有の事情などから撤退し、小口の個人物流には誰も成功していなかったことは事実だ。その宅配便という未知の分野に挑戦して市場を切り拓くことは、同時に規制に対する戦い=行政との闘いでもあった。また、宅急便を成功させるには社内における闘い(2度にわたるリストラクチャリングで、最初は宅急便を始めるよりも前、2度目は相談役から会長に戻った時期)もあった。そのような内容については自分も過去に何度か書いている。

 それに対して森氏の著書は、小倉さんが内面で精神的に戦っていたものは何だったのかを、著者の視点から解き明かそうという試みで、いわく、伝説の経営者が残していた謎がすべて解けた、と謳っている。「小倉本」をすべて読んでいるわけではないが、従来にはない側面から小倉さんの心のうちに迫った好著である。

 自分は、経営者としての小倉さんしか関心がなかったが、個人的なことに関してもそれとなく耳に入ってくることはあった。同著を読んで、あの時の話はやはりそうだったのかと思い出したり、おぼろげにしか知らなかったことが実際はそうだったのかと思ったり、あるいはまったく知らなかったことを初めて知ったりすることができた。

 だが、それでも自分としては経営者としての小倉さんと個人としての小倉さんのギャップが埋まらない。いろいろなことを思い出していたら、「小倉門下の優等生」とも称される4人の経営者の中のある方が、ある時に自分に語った一言にカギがあったことを思い出した。その人は「社長という役柄を完ぺきに演じきれるのが優れた経営者」と話していた。

2016年2月15日

卒論発表会

 先週木曜日の2月11日は誕生日だった。何回目の誕生日かは特定秘密に指定されているので明かすことができない。かなりの回数を数えてきたことは事実だが、今年は東京海洋大学(越中島キャンパス)で1日を過ごした。黒川久幸先生のゼミ室で卒論の発表会があったので参加したのである。

 研究テーマは、①物流改善事例のデータベース化と分析、②トラック輸送でパレット化を可能にする条件の研究、③ASEAN経済共同体の現状と各経済回廊の課題、④水産加工品の販売数量や季節変動などが需要予測に及ぼす影響、⑤台車を用いたピッキングにおける運搬方法の違いが移動距離に与える影響、⑥移動スーパーの現状と採算性向上の研究、⑦ASEANの貨物流動量の把握とパレットプールシステムの導入に関する研究、⑧企業のCSRにおける水資源の取り組み。院生(修士)を含む8人がプレゼンを行った。

 途中に昼食時間があったものの、10時から15時30分までじっと机の前に座って話を聞くのは結構疲れる。だが、若い人たちの研究発表は刺激的でいろいろ参考になった。

 物流とは少し異なるが、最後に発表されたCSRにおける水資源に対する取り組みに関する研究は、へぇ~面白いなと思った。温室効果ガス排出量削減は各国が削減目標を具体的な数値として定めるところまできている。水についても、いずれはそのようになるだろうという。日本は水資源に恵まれているから実感に乏しいが、世界的に見れば水資源の問題は大きい。

 水の3Rはリデュース、リユース、リサイクルで、このうちリデュースは使用量削減であり、リユースと、リサイクルは水資源の再利用である。その他に排水処理があるが、これらについて自社ではそれぞれどれだけの量なのか、また、それによる環境負荷はどれだけかを定量的情報として開示することが必要になってくるという。CSRとしていずれは義務化される可能性もあるというのだ。たしかに水資源の乏しい国もある。それに世界的には人口も増加している。

 誕生日に若い人たちの研究発表を聞いたので、1歳若返ったような気になってきた。いや、絶対に若返ったはずだと信じよう。

2016年2月 8日

豆鉄砲

 先週金曜日(1月29日)の夜。ある懇親会で「今日、日本経済は死にましたよ」と某氏が話しかけてきた。日銀が当日開いた金融政策決定会合でマイナス金利政策の導入を決めたが、その後の株価の変動をみていて、日本経済は死んだというのである。多少、アルコールが入っている場での話だが、同氏の人生経験の中でニクソンショック(ブレトン・ウッズ体制の終結)、第1次オイルショック、バブル崩壊、リーマンショックにならぶ出来事だと話していた。

 日本経済が死んだというのは大げさにしても、日本経済がジリジリと瀬戸際に追い詰められているのは事実だと思う。日銀は2013年4月に大規模金融緩和策を、さらに2014年10月には追加緩和をした。長期国債の購入規模も80兆円にまで拡大し、市場に資金を流し込んできた。また、この間にGPIFも株式運用比率を高めた。そこまでしても現在の株価に過ぎない、という見方をすべきだろう。つまり、量的緩和の金融政策が上手くいっていないことの証明ととらえれば、今回のマイナス金利導入は当然の帰結である。2013年4月29日の当コラムで次のように書いておいた。

 「札は刷れ刷れ 刷るならば 『日出づる国』の このYenを 刷り増すほどに バラ撒けば これぞ真の『黒田節』」‥‥これが杞憂であれば幸いだ。

 以前と比べれば円安が進んだが、それでも輸出は増えていない。すでに輸出向け商品の製造はほとんどが海外にシフトしていたので、円安になっても輸出が増えないのは当然である。海外事業の比率が高い大企業は利益が増加しているが、これも円安に寄るところが大きい。つまり実体経済は良くなっていない。設備投資が増えていないのがその証明といえる。大手企業の経営者は法人税の引き下げなど実利を得るために黙っているが、国内経済の将来を見込めないから国内での設備投資はしないのだ。

 下手な鉄砲も数打ちゃ当たると、バズーカ砲ならぬ豆鉄砲をいくら打っても効果は期待できない。豆はカラスが全部食べてしまうだけだ。腹いっぱいになるカラスはいるだろうが、芽は出てこない。

2016年2月 1日

県境の町

 1月中旬から2月第1週にかけては、近場だが出張が続いた。関東圏内ではあまり出張という気分にはならないのだが、けっこう出歩いた。

 その中の1つに茨城県久慈郡大子町の運送会社への取材があった。大子町は袋田の滝が有名である。日光の華厳の滝、熊野の那智の滝とならぶ日本3大名瀑の1つと言われている。しかし、先の2つは定説なのだが、袋田の滝に関しては異説もあるようだ。

 それはともかく、袋田の滝は仕事だったり遊びだったり何度か行っている。だが、常陸大子の駅に降りたのは今回が初めてだ。茨城県の県庁所在地である水戸と福島県の郡山間を結んでいるJR水郡線には何度か乗っている。水戸から郡山へ、反対に郡山から水戸までのんびり乗ったこともある。2013年11月18日のコラム「仕事の合間の贅沢」がそうだ。だから常陸大子の駅は何度か通過しているが、今回、初めて降りた。

 取材先での雑談の中で、「栃木県の那須塩原駅まで車で約40分なので、東京に行くには那須塩原から東北新幹線を利用した方が便利だ」、という話を聞いた。なるほど、と驚いた。自分の「常識」からすると、車で高萩にでるか、水郡線で水戸に行って常磐線の特急に乗るという以外の発想がなかった。車で高萩に行くのと那須塩原に行くのは時間的にさほど変わらず、那須塩原駅前は駐車料も無料という。一方、水郡線で水戸までは1時間以上かかる。

 そこで水郡線の駅を数えてみたら、郡山~常陸大子の方が、常陸大子~水戸よりも駅の数が僅かに少なかった。常陸大子の次の駅は下野宮でここまでが茨城県。その次の矢祭山駅からは福島県である。大子町は茨城県のはずれで、栃木県と福島県に接した県境の町であることを改めて実感した。

 そういえば最近は県境マニアというのがあるらしい。石井裕(ニックネームのようだ)さんが「県境マニア!」という本も書いている。また「県境」あるいは「市町村境」を売りにして観光客の誘致を図っている自治体もあるようだ。現在では道路も整備されて交通手段も発達し、県境など無意識に越えている。しかし、昔の人はどうだったのだろうと考えればロマンを感じるのはたしかだ。

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