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2016年5月23日

都市部でも交通弱者

 約2年半ぶりに新潟市に行った。昔から新潟は仕事がすんだらすぐに帰ってしまうパターンが多かった。市内を見て周った記憶があまりない。今回は1泊で、1日目は取材が終わって新潟駅前のホテルにチェックインしてもまだ明るかったので、久しぶりに萬代橋の周辺をぶらついた。

 八千代橋や昭和大橋も見える。昭和大橋の角のところだったと思うが、喫茶店があって昔2、3度行ったことがある。たしか最初にその店に入ったのは雪の降る日だった。その後も出張できたときに何度かコーヒーを飲みに寄った。懐かしいので少し遠いが歩いて行ってみようかと思ったが、今も店があるかどうか分からないし、それに暗くなってきたのでホテルに帰った。

 翌日の午前中も時間を空けておいたので鳥屋野潟に行ってみた。公園を歩いて自然科学館にも入り、いったん新潟駅に戻ることにした。バス停の周りは静かな住宅地で、バスを待っていると年配のご夫人が来た。40年前から近くにお住まいで、病院に行くためにバスの時間に合わせて出てきたという。しかし、バスが予定通り来なかったりすると、病院の予約時間に間に合わないこともあると嘆いていた。バスに乗ってしまえば新潟駅まで20分程度だが便利とはいえない。

 5年半ほど前に、新潟のテレビ局(NST)が新宿の事務所までコメントを取りに来たことがある。ディレクターはじめ、若いスタッフが数人だった。収録が終わってから雑談したら、テレビ報道という仕事を通して新潟に役立ちたいと抱負を語っていた。高齢化や人口減少などが進む中で、地元の活性化に貢献したいというのだ。

 そこで、昔は新潟県が全国で1番人口が多かったのを知っているか、と聞いたら誰も知らないという。内務省(当時)の「日本全国戸口表」やその他の資料によると、1887年(明治20年)12月31日から1892年(明治25年)12月31日では、全国47都道府県(当時は東京府)の中で1番人口が多いのが新潟県だった。その後、東京府(都)が1位となり、今日に至っている。

 人口の流出には様ざまな理由があろう。だが、先述のように現在の新潟市内(鳥屋野潟は中央区)でも、自分で車を運転しない高齢者にとっては生活が便利とはいえない。実は午後からは、4月から始まった買い物代行サービスの取材だったのである。

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