100年企業
四日市→伊那松島(箕輪町)→塩尻→名古屋→伊勢→四日市と周った。取材、講演、その他である。たまたま初日の四日市と中間の名古屋、それに最終日の四日市の予定が先に入ったので、その間に取材などを組み込んだのである。
最初の四日市は日本貨物運送協同組合連合会(日貨協連)の総会で、最終日の四日市も同じホテルで地元事業者の創業100周年記念式典・祝賀会だった。祝賀会は席が指定されていたが、偶然にも隣の席の方は日貨協連の総会にも出席していた人だった。その他にも、20数年ぶりでお会いした人もいた。先方も、「そうではないかと思っていたが、やはりそうだったか」、と覚えていてくれた。
100周年を迎えた会社の社長と初めてお会いしたのは1985年7月24日で31年前である。そんなこともあって、式典では来賓挨拶(祝辞)とは別に、短時間だが出席者の参考になるような話をしろ、と仰せつかった。そこで取材経験に基づいて、長寿企業と適者生存に関する所感を述べた。
社歴の古い会社は、それぞれの時代に応じて変化してきた。同社も創業時は練炭の製造と販売から出発し、養蚕に必要な燃料ということもあって時流に乗った。また、いち早くタクシーにも進出したが、戦時統合などの影響によって事業内容が大きく変わる。
戦後は練炭販売、農機具販売、アイスキャンディの製造・販売、それに私鉄の駅構内に店を出して現在のキヨスクのようなこともしたという。そのような中で小型運送事業の免許を取得し、その後は運送業に専念することにした。
しかし、同じ運輸業でも業務内容は変化してきた。経済成長の時代は貸切り輸送をしていたが、オイルショックなどの経験から引越サービスや一般廃棄物ならびに産業廃棄物収集運搬への参入を図った。現在では売り上げの70%が引越だ。しかも最初は一般引越だったが、徐じょに法人引越に転換し、現在はほぼ100%が法人対象である。さらに季節波動の少ない業務内容にしてきた。このように変化に対応しながら100周年を迎えたのである。
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