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2016年8月 1日

狂気の沙汰

 深夜に障害者施設を襲って19人も殺害するという事件が起きた。重軽傷者も多数である。亡くなられた人たちのご冥福をお祈りするとともに、ご遺族、被害に遭われた方がたとご家族の皆さまにはお見舞い申し上げます。

 犯行は7月26日の2時半過ぎに行われたようだが、その2日前の24日午後に、事件現場の津久井やまゆり園の近くを通っていた。車を運転して国道20号線を相模湖の方から高尾方面に抜けたのである。そんなこともあって、報道で事件を知った時には身近なところで起きた大惨事なので驚いた。

 ニュースをみていて、あまりの残忍さに正気の沙汰とは思えなかった。容疑者は違法薬物を常習していたとも報じられているが、とても正常な精神状態ではないだろう。まさに狂気の沙汰である。だが、それゆえに責任を負える精神状態ではなかった、などという結果になったとしたら、それこそ大変だ。

 犯行時の精神状態が正常だったか異常だったかは別として、容疑者には障害者に対する差別意識が根底にあったものと思われる。この事件に限らず、また差別の対象の如何に関わらず、最近は他者を差別したり蔑視するような風潮が世界的に強まっているような気がする。民族や人種に対する差別、自分の信じる宗教以外を邪教とするような意識、これらは世界中で頻発しているテロにも根底では通じている。

 他者に対する差別は自己の優位性意識が前提になるが、それは心理的には劣等感の裏返しでもある。優越感と劣等感はコインの表裏の関係のようなものだ。そして差別心理が極限にまで達すると、ナチスの「優生政策」の肯定にもつながってくる。さらに自分の国家の優位性といった段階にまで自己意識が高じてしまうと、他国を支配下に置いても良いといった思想になってしまう。

 今回の津久井やまゆり園の事件は、世界的な危険な風潮の反映でもあるような気がしてならない。

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