再びネクタイ雑感
2年前の11月10日に「ネクタイ考」を書いたが、再びネクタイ雑感である(思考がいかに乏しいか)。
半年にわたるクールビズが終了して、さる11月1日は今シーズンの「ネクタイ結び初め式」を厳かに行った? それはともかく、ネクタイを結ぶようになると季節の変化を実感する。昔は10月1日が衣更えだったが、昨今は11月1日が衣更えのようになってきた。昨年との比較では今年のほうが寒い感じがするが、昔と比べれば温暖化で1カ月ぐらい季節がずれているのだろう。
しかし、ネクタイを結ぶと、気持ちが切り替わるような気がするから不思議だ。気分一新という効果があることは否定できない。だが、何のためにネクタイを結ぶのかが分からない。
ずっと昔に、ある人から聞いた話である。その人も何かで読んだらしいのだが、これまでに会った女性の中で1番おしゃれな人はキューリー夫人だ、と書いてあったという。ノーベル物理学賞とノーベル化学賞を受賞した、あのキューリー夫人である。その筆者が研究室で会う時のキューリー夫人は、いつも紺色のタイトスカートに、きれいに洗濯した白いブラウス姿だったらしい(割烹着! ではなかったようだ)。ではなぜ、おしゃれなのか。それが彼女の仕事に1番合っているから、というのが理由らしい。
それを聞いて、なるほどなぁ~、と感心したことを思い出す。各種の職業にしろ、スポーツにしろ、ユニフォームはそれぞれの体の動きに適合するような機能性が追求されている。その上に、色や柄などのファッション性を採り入れている。それに対して、ネクタイはどのような機能性を持っているのだろうか。機能性という点では意味がないような気がする。
そこで思い出したのだが、サラリーマンのネクタイは飼い犬の鎖と同じで、会社に飼われている象徴だ、と言っていた人がいたっけ。一方では、飼われているという安定感や安心感をもたらす。だが、当方は会社勤めではないし、人を雇用する側でもない。フリーで一見、気ままに仕事をしているだけだ。
となると、ネクタイは何の象徴なのだろう。社会的「常識」や慣習に縛られ、そこから脱することができないという証明なのかもしれない。こんな屁理屈を考えながら、数少ないネクタイの中から、気分転換に今日はどれにしようかと選ぶ毎朝である。
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