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2016年12月

2016年12月26日

SMAP解散

 人気アイドル・グループのSMAPが年内で解散するという。年内いっぱいということなら、あと5日残っているので、その間にどのような結末になるのかは予想できない。それでも解散という方針に変わりはないだろう。

 ここまでの経緯にしても良く分からない。ジャニーズ事務所の提灯記事を書く芸能業界紙誌もあれば、ジャニーズ事務所に距離をおく芸能業界紙誌もあるようだ。おそらく熱心なSMAPファンとしては、どちらの記事が正しいのかと、両方を読み比べることになるだろう。つまり、どちらの立場に立つ新聞や雑誌も売れることになるので、芸能業紙誌としては相乗効果が得られることになる。

 ところで、どうも納得できないのは芸能界の前近代的ともいうべき体質である。1つは、タレントの恋愛や結婚も自由ではないらしいことである。もう1つは、能年玲奈(のん)さんのケースもそうだが、所属事務所の辞め方によっては、その後しばらくはテレビなどへの出演が困難になることだ。

 恋愛・結婚は個人の自由の問題だし、従来の所属事務所を離れたからといってテレビなどへの出演が実質的に妨害されるのだとすれば、各種の法律に違反するのではないかと思われる。

 これにはタレントと芸能プロダクションの関係が明確でないという問題もあるのだろう。雇用関係なのか契約関係なのか、である。基本的には契約関係なのだろうが、現実には雇用関係のような実態があるのではないか。

 その事例の1つがプロ野球の世界だ。選手会には、一般社団法人日本プロ野球選手会と労働組合日本プロ野球選手会がある。つまり球団と選手は契約関係にあるが、雇用関係のような実態もあると法的に認められていることになる。タレントと芸能プロダクションも同じような関係ではないかと思う。

 それにしても、このような本質的な問題に切り込まないマスコミはだらしない。取材がやりづらくなったり、広告が出稿されなくなったり、人気タレントの出演を断られたり、といったことから自主的配慮(自主規制)がなされているのかもしれない。

 だが、報道が気に入らないと人気タレントの出演を断ってくるような横暴な芸能プロダクションに対しては、それなら他のタレントを使うと言えば良いではないか。どのテレビ局も毅然とした姿勢を貫けば、結果的に困るのは横暴な芸能プロダクションの側である。そういえば、ブラック企業大賞も発表されたな‥。

2016年12月19日

「るつぼ」か「モザイク」か

 事務所のある新宿駅西口の近くをうろちょろしていることが多い。新宿は以前から観光客とおぼしい外国人が多かった。ところが今年の夏ごろから、飲食店やコンビニ店などで店員として働いている外国人が急増してきたように感じる。

 飲食業や小売業では労働力不足が深刻なのだろう。運輸業も含めて「人手」と総称される業種や仕事の分野では労働力の確保が難しくなっている。それに対して「人材」を求める業種や企業では、むしろ買い手市場だと思う。ここに労働市場のミスマッチがある。

 それはともかく、働いている外国人は外見から判断すると実に多くの国の出身者がいるようだ。そして、みんな若い。おそらく日本の学校に留学している学生アルバイトが多いのだろう。異国の地で必死に生きている姿は頼もしい。これから国際化がさらに進めば、在留外国人はもっと増えるだろう。外国人労働者の是非は別として、実態としてはそのまま定住する人も多くなるはずだ。すると日本はどうなるのだろうか。

 ニューヨークに初めて行ったのは約30年前である。当時はまだ治安が悪く、セントラルパークなど夜間は近づけなかった。だが、街を歩いていて驚いたのは、皮のコートを着ている人と、Tシャツ姿の人が仲良く話しながら歩いている姿だ。明らかに人種が違う。その時、多くの人種や民族がいるので、同じ気温でも寒い国から来た人は暑く感じ、暑い国から来た人は寒く感じるのかも知れない、と思った。NYは「人種のるつぼ」と言われるゆえんだ(最近は「サラダボウル」と言うらしい)。

 お隣のカナダも多民族国家である。同学の1人が若くしてカナダに移住したが、当時、カナダでは何らかの国家資格を持っていなければ移住を受け入れなかった。つまりカナダへの移住はハードルが高かったのである。そのようなこともあってか、カナダ在住の邦人の1人は「NYのような人種のるつぼではなく、カナダは人種のモザイク」と強調する。

 たしかに「るつぼ」という言葉は、混在や混沌を経てやがて融け合うような感じだ。それに対して「モザイク」は、様ざまな人種や民族が主体性を保ちながら調和し、全体として造形美を形成する、といったイメージである。

 国際化が進むなかで、将来の日本は「るつぼ」になるのか、それとも「モザイク」になるのだろうか。

2016年12月12日

キュレーションサイト考

 次から次と新しい言葉が出てくるので、団塊の世代としてはついて行くのが大変だ。最近もキュレーションサイトなるものに初めて出会った。裏づけのない内容が掲載されているサイトの公開を中止する云々というニュースである。そこでキュレーションなる言葉の意味を調べるのもネットなのだから、苦笑するしかない。

 ということで、簡単に何かを調べようとする時にキュレーションサイトは便利だ。仕事では日常的に利用している。もっとも怪しげな内容もあるので、そのままは信じるようなことはない。自分で吟味してさらに自身の判読能力の範囲を超える場合には、複数のサイトでダブル・チェックした上で解釈するようにしている。文章を書くための参考にするには、そこまで慎重にしないと責任が取れないからだ。それでも時には間違ったりすることもある。

 このようにキュレーションサイトは使い方によっては便利だが、読む側にも判断力が求められる。インターネットの普及は利便性を高めた。だが同時に弊害ももたらす。技術だけが先行して、それに関わる4者がまだ未成熟だからである。4者とは、キュレーションサイト運営者、書き手、読み手、そしてスポンサーである。

 サイト運営者の未熟性は、経営的には利益追求とモラルの問題である。また、技術面ではネット操作などに精通しているが、編集能力が欠如している人たちが係わっていることだ。Webマガジンなども、編集能力が欠けているケースが多い。編集技術もそうだが、裏づけの確認など編集責任が自覚されていない。自費出版の請負で経営している出版社も似たようなレベルのところがあるが‥。

 書き手も素人が多い。内容に責任を負うという自覚がなく、また、平気で他人の文章や写真などを剽窃する。もっともSTAP細胞の騒動では、博士論文や研究論文ですらコピペが通用している現実を曝けだした。

 読み手もリテラシーが求められる。そしてスポンサーだ。どのサイトにどのような企業が広告を出しているかが分かるようなサイトを開設してはどうか(広告以外の収入で成り立つようにする)。すると、ちゃんとした企業ならいい加減なサイトには広告を出稿しづらくなる。つまり、市場原理でいい加減な内容のサイトを淘汰するのである。

2016年12月 5日

「神ってる」のか偶然か

 今年のユーキャン新語・流行語大賞は「神ってる」になった。「神ってる」は知っていたが、全国的かというとやや疑問だ。ローカルな流行語ではないかと思う。それに対して国際的という点では、やはり「PPAP」だろう。

 同じような疑問を持った人はいるようで、何々大賞というのには一般からの投票などによって選ぶものと選考委員が選ぶものがあり、流行語大賞は後者だからとテレビで誰かが言っていた。

 「神ってる」を自己流に解釈すると、想像できなかったようなことが起きた、あるいは思ってもみなかったようなことを誰かが行った、という意味かと思う。だとすると、「神ってる」には必然的な帰結と、偶然の連鎖の2つがあるのではないか。

 偶然の連鎖ということでは、最近、おもしろいことがあった。仕事である人が訪ねてきてくれた。2、3年前に1度だけあいさつしたことはあったが話はしていない。そこで初めての名刺交換である。ところがその人は当方の出身地などを知っていてくれた。

 このコラムでも何度か書いているが、生まれ育ちは茨城県常総市。厳密にいえば、生まれた当時は岡田郡菅原村で、小さいころに水海道市になり、現在は常総市である。その人は東京生まれだが4歳の時に両親が取手市に家を購入したので、水海道からも近い同市で育った。現在も取手市内から通勤しているという。しかも新宿副都心のビルなので当事務所からも近い。

 偶然というのは、その時に読んでいた本である。内田康夫さんの浅見光彦シリーズの1冊で「中央構造帯」というのを読んでいた。平将門伝説などを利用した犯罪の謎を浅見「探偵」が解き明かすものだが、将門の出身地である地元の地名がたくさん出てくる。

 いずれも旧市町村名だが、岩井、水海道、境、猿島、三和、八千代、石下、結城、下館、取手、石岡、土浦、古河、笠間、つくば、その他である。さらに国王神社、延命院、菅生沼、筑波山(以上は写真をよく撮りに行っていた)、水海道駅や水海道警察署、将門川など、懐かしい名称がたくさん出てくる。当日の朝に通勤電車で読んでいて、まるでご当地小説みたいだなと思っていた。その日にお会いした人が、近くの取手で育って現在も通っていると聞いたので驚いたのである。

 はたしてこれは偶然か、それとも「神ってる」というべきなのだろうか。

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