「神ってる」のか偶然か
今年のユーキャン新語・流行語大賞は「神ってる」になった。「神ってる」は知っていたが、全国的かというとやや疑問だ。ローカルな流行語ではないかと思う。それに対して国際的という点では、やはり「PPAP」だろう。
同じような疑問を持った人はいるようで、何々大賞というのには一般からの投票などによって選ぶものと選考委員が選ぶものがあり、流行語大賞は後者だからとテレビで誰かが言っていた。
「神ってる」を自己流に解釈すると、想像できなかったようなことが起きた、あるいは思ってもみなかったようなことを誰かが行った、という意味かと思う。だとすると、「神ってる」には必然的な帰結と、偶然の連鎖の2つがあるのではないか。
偶然の連鎖ということでは、最近、おもしろいことがあった。仕事である人が訪ねてきてくれた。2、3年前に1度だけあいさつしたことはあったが話はしていない。そこで初めての名刺交換である。ところがその人は当方の出身地などを知っていてくれた。
このコラムでも何度か書いているが、生まれ育ちは茨城県常総市。厳密にいえば、生まれた当時は岡田郡菅原村で、小さいころに水海道市になり、現在は常総市である。その人は東京生まれだが4歳の時に両親が取手市に家を購入したので、水海道からも近い同市で育った。現在も取手市内から通勤しているという。しかも新宿副都心のビルなので当事務所からも近い。
偶然というのは、その時に読んでいた本である。内田康夫さんの浅見光彦シリーズの1冊で「中央構造帯」というのを読んでいた。平将門伝説などを利用した犯罪の謎を浅見「探偵」が解き明かすものだが、将門の出身地である地元の地名がたくさん出てくる。
いずれも旧市町村名だが、岩井、水海道、境、猿島、三和、八千代、石下、結城、下館、取手、石岡、土浦、古河、笠間、つくば、その他である。さらに国王神社、延命院、菅生沼、筑波山(以上は写真をよく撮りに行っていた)、水海道駅や水海道警察署、将門川など、懐かしい名称がたくさん出てくる。当日の朝に通勤電車で読んでいて、まるでご当地小説みたいだなと思っていた。その日にお会いした人が、近くの取手で育って現在も通っていると聞いたので驚いたのである。
はたしてこれは偶然か、それとも「神ってる」というべきなのだろうか。
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