天神さま
防府天満宮に行った。防府市には仕事で4、5回行っているが、市内に宿泊するのは今回が初めて。そこで翌日、防府天満宮を訪ねたのである。ついでに種田山頭火の生家跡にも足を延ばした。
防府天満宮は大宰府天満宮(太宰府市)、北野天満宮(京都市上京区)とともに日本三大天満宮の1つと言われる。だが三大天満宮には諸説があるようだ。大生郷天満宮(茨城県常総市)も日本三大天満宮の1つと言われている。その他にも、三大天満宮の1つと言われるところがいくつかある。
大生郷天満宮があるのは我が故郷なので小さい時から三大天満宮の1つと聞いて育った。大きな鳥居から正面の階段までは200mほどしかないし、全体的に境内も狭い。これには立地条件がある。大生郷天満宮は菅原道真の3男の景行が、道真の遺言もあって遺骨を移して祀った。当時は飯沼湖畔に浮かぶ島だったので、敷地などが狭いのである。現在でも周りよりも少し高台になっているが、たしかに太宰府天満宮や防府天満宮と比べると、いささか寂しい観は否めない。
だが、遺族の景行によって祀られた道真の遺骨をご神体にしているので、三大天満宮としての「誇り」がある。それにも関係していると思われるが、自分が生まれた当時は「菅原村」だった。字の大生郷は今では大生郷町になっているが、菅原村はその後、水海道市になり、さらに現在は常総市になっている。
自分が小学校低学年の頃は、鳥居から階段までの間に、間口の広い大きな家が2、3軒並んで建っていた。一見して商家の造りでもなく、一般の民家でもない。祖母に聞いたところ昔は旅籠屋だったという。すでに商売はしていなかったが、建物はそのままだった。自分が生まれるほんの少し前ごろまでは、近在からだけでなく、遠方からも多くの人が集まってきて宿泊する人たちがいたことの証だろう。だが、自分が小学生になるころは、縁日などにはそれなりに人が集まったが、往時のような賑わいではなくなっていたのだろうと思う。
ところで景行は平将門とも親交があったという説がある。何度か神田明神から湯島天神まで歩いたことがあるが、将門と景行の親交に思いを馳せながら、久しぶりに行ってみようか。
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