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2017年3月27日

種の存続

 先週、4人目の孫が生まれた。女の子で、長男の次女である。長女は一姫二太郎なので、女の子が3人、男の子が1人となった。生まれたばかりの4人目の孫も元気なので、まずは一安心だ。

 それにしても、すやすや眠る新生児の顔をみていると不思議な気がしてくる。1つは、このようにして連綿と種が存続していくのか、という感慨である。2つ目は、これから始まるこの子たちの人生が羨ましい、ということである。3つ目は、同時に、この子たちが生きていく社会はどのようになっているのだろうかという不安である。ともかく4人の孫たちが仲良く生きていってほしいと願う。

 自分の子供時代を思い出すと、世の中全体がゆったりしていたように思う。たしかに物質的には現在の方が豊富になっている。だが精神的には、昔の大人たちの方が余裕があって心が豊だったように思う。

 自分の若い時を振り返っても、いまのようにギスギスしていなかった。働き方にしても19時、20時まで残業するといったことは稀で、今日は働き過ぎた、という感じだった。しかし、現在では非正規雇用労働者が4割を超え、正規雇用の若い人たちは21時や22時ごろまで働くのが当たり前のようになっている。表面上は残業という形になっていないが、実質的には労働の長時間化である。

 待機児童が問題になっているが、これもいろいろな側面からみていくことが必要だろう。待機児童をなくすために保育所を増やし、保育士を確保する必要性はもちろんだ。だが、待機児童が問題化されるのは、子供を預けられなければ若い母親が働けないからである。これを女性の社会進出という面からみれば、喜ばしいことだ。しかし、その裏には夫婦で働かないと生活が厳しいから、という実態があることを見逃してはならない。つまり、昔よりも実質賃金が下がっているという現実である。

 幸せそうな孫の寝顔を見ながら、このようなことを考えると、自分が知らない将来の社会でどのように生きていくのか、羨ましくもあり、不安でもある。だが、我が家の孫である。どのような社会になろうとも、「適者生存」で4人もそれなりに要領よく、たくましく生きて行ってくれるだろう。そうあってほしい。

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