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2017年8月21日

「視線の先に」

 「写真家 沢田教一展 その視線の先に」をみてきた(日本橋髙島屋8階)。斉藤光政氏の「沢田教一の眼」によると本人は「戦場カメラマン」と呼ばれるのを好まなかったようだが、沢田教一さんといえば自分には戦場カメラマンというイメージが強い。

 会場で購入した写真集「SAWADA ?KYOICHI ? AOMORI・VIETNAM・CAMBODIA ?1955-1970」をみると、1955年~1964年に故郷の青森県内や北海道、千葉で撮影した写真が掲載されている。風景やその地に生きる人たちを、当時としては珍しいカラースライドフィルムで撮影したものだ。

 だが、沢田さんがカメラマンとして精彩を放つのは、当時勤めていたUPI通信社(東京支局)から1カ月の休暇をとり、自費でベトナムでの取材を始めた1965年2月から、カンボジアで銃撃により死亡した1970年10月までの間であろう。つまり、わずか5年余の期間に過ぎない。この5年間を短いと思うか、他の人の一生分に相当するほど凝縮された時間ととらえるか。

 いずれにしても5年間に、「安全への逃避」(1966年度ピュリツアー賞、第9回世界報道写真展大賞、1966年度米海外記者クラブ賞、第23回USカメラ賞)、「敵をつれて」(第10回世界報道写真展報道写真部門第2位、第24回USカメラ賞)、「泥まみれの死」(第10回世界報道写真展報道写真部門第1位)、「戦闘で家を失った老人を退避させる若者たち」をはじめとするカンボジアで撮った一連の作品(1971年度ロバート・キャパ賞)など、輝かしい業績を残している。ロバート・キャパ賞は没後の受賞だが、報道カメラマンなら垂涎の賞を総て受賞したといって良い。

 そして、これらの一連の写真は半世紀経ったいまでも輝きを失っていない。むしろ、日本をはじめ世界的にきな臭い状況になりつつある現在こそ、「報道カメラマン沢田教一」の写真は価値を高めつつある。では、沢田さんの写真は何が違うのだろうか。おそらく物事の本質を見抜く眼力だろう。ファインダーを通して、被写体をもっとも良く表現できる一瞬を切り取る眼力だ。

 その沢田さんの「視線の先に」あったものは何か。たまたまだが、10月にはベトナムに行くことになるだろう。沢田さんの視線の先にあったものを、ほんのわずかでも観て感じることができればと思う。

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