盛衰
土浦城址に写真を撮りに行ってきた。茨城県トラック協会のPR誌に使用するイメージ写真の撮影である。高校生などの若い人を対象に編集し、毎年1回の発刊で今年度が通巻21号になる。毎号、見開きの目次のページに、茨城県内の名所などを写真で紹介しているが、今年は土浦城址の櫓門(県指定重要文化財)にする予定で撮影に行ったのである。
土浦城の築城は不詳のようで、938~947年(天慶年間)に平将門が砦を設けたという説もあれば、記録的には1429~1441年(永享年間)に今泉(若泉)三郎が築いたともいわれている。いずれにせよ、各種資料によると土浦城は5重の堀と土塁に囲まれた平城だったようだ。往時のその形状が亀の姿に似ていたので通称「亀城」と呼ばれていたという。そのため現在では亀城公園となっている。本丸などは残っていないが、櫓門(明暦2年)、高麗門(文久2年)、霞門などが昔の姿を留めている。
同県の出身なので土浦城址は何度か行っているが、ここ10年以上はご無沙汰だった。地図は頭に入っているので、久しぶりに駅から歩いて行った。すると、商店のシャッターが下りていたり、かつては商店が並んでいたところが更地になっていたりする。地方都市の衰退を実感した。
高校生のころは土浦というと大きな町で、バスに乗ってスポーツ用品などを買いに行ったものだ。たしか、このあたりにあったスポーツ用品店で、先輩や同輩と一緒に行って買ったよな、という記憶がよみがえってくるのだが、店は跡形もない。盛衰という言葉が頭に浮かんできた。
写真を撮り終わって駅までの帰り道、浦島太郎の物語を思い出した。浦島太郎は竜宮城にいる間に長い時間が流れ、故郷は変わってしまった。おそらく、その驚きや寂しさに耐えかねて玉手箱の蓋を開けてしまったのだろう。浦島太郎の時代なら300年の時間をかけて変化したものが、いまは数十年にも満たない間に過ぎ去って大きく変わってしまう。
そういえば土浦城は「亀城」ともいったな。すると自分にとっての玉手箱は何だろう。
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