« オンライン | トップページ | 暮れ模様 »

2017年12月11日

南天に雪

 今年は例年より冷え込みが厳しいように感じる。といっても、ここ数年は暖冬だったので、これが普通なのかもしれない。関東などでも地域によっては雪が降り、テレビを観ていたら、南天の葉や枝にかかった白い雪に赤い実が映えているシーンがでてきた。まぁ、定番の「画」ともいえるが、そこで子供のころわが家の庭にあった南天を思い出した。さらに家の周りや庭の植物を頭に浮かべてみた。

 生まれ育ちは茨城県の田舎だが農家ではなかったので、家の敷地もさほど広くはない。だが、あらためて記憶をたどると、いろいろな草木が生えていたものだ。思いつくままに列挙すると、食べられる果実では、グミ、ザクロ、柿の木は3種類ぐらいが計7本。それに近隣にはなかった珍しいポーポーの木が2本あった。独特の匂いと味のため、人によって好き嫌いがハッキリしていたが、わが家を訪れた客は初めてみたという人が多かった。また、ビワの木は自分が小さい時に食べた後で種を植えたもので、中学生ぐらいになると実がなって食べられるようになった。

 桜はソメイヨシノと八重桜、桐の木、真竹、シバの木、紅葉、樫の木、椿、杉、それに南天。南天は暮れになると毎年、赤い実を買いに来る業者がいた。めでたい花などと組み合わせて、正月用の飾りとして販売していたのだろう。茶は家の周りにたくさあり、自宅で飲むお茶は全部自家製だった。草花ではシダの類や菖蒲、山吹、オモト(万年青)、水仙、菊(ピンク、黄色、白)、福寿草などが生えていた。その他にも名前を思い出せないような植物が生えていた。

 「生えていた」というのは、植えただけで誰もいっさい手入れをしていなかったからである。自然に芽吹いては成長し、花が咲いて木によっては実がなり、落葉樹なら葉が落ちて翌年にはふたたび芽吹くという繰り返しだった。子供だった自分は、食べられる実なら木に登って採って食べる。そのような春夏秋冬だったのである。

 このように思い出してみると、当時はスナック菓子などは全くなかったが、金のかからない「贅沢」な暮らしをしていたような気がする。次の元号がどうなるのかは知らないが、そんなこんなで牧歌的だった「昭和」はますます遠くなってしまう。

« オンライン | トップページ | 暮れ模様 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事