「しっぽ」にもなれない
以前のことだが、思わず苦笑したことがある。ある仕事の関係で行政機関から校正直しが当方に戻ってきた。もちろん直しは一向にかまわない。そのための校正なのだから。だが、数えてみたら何と11人の判が押してあった。もちろん秘密文書でも何でもないし、ワードのA4判1枚に満たない文字数の文章である。まぁ、率直にいえば責任分散としか思えない。役所とはことほど左様に文書(文章)に「厳格(幻覚ではない)」である。
森友学園との国有地取引に関わる決済文書の書きかえ(ねつ造)を財務省が認めた。先の例でも分かるように、決済文書のねつ造を役人の判断でできると思っている人はほとんどいないだろう。おそらく、裏で何らかの力が働いたと推測するのが普通だ。それはともかく、肝心なのは何のために、誰のために改ざんしたのかを明らかにすることである。
今回の決済文書ねつ造問題が明るみにでたのは朝日新聞の報道からだ。朝日の記事を読んだ瞬間、この書き方ならねつ造前の文書のコピーを入手し、裏付け取りにもかなり時間をかけたな、と思ったものである。まさにスクープでありジャーナリズムの存在価値を示した。同時に、コピーの入手先はどこだろうと考えた。ソースをあれこれ思索しているうちに、なるほどそうか! と思い当たる線が頭に浮かんだ。その点でも勉強になった。
報道ということでは、いま大きな関心を持っているのが、この問題について御用新聞が今後どのような取りあげ方をしていくのだろうか、という点だ。記事としてはそれなりの大きさで取り上げないわけにはいかない。だが、どのような論理のすり替えで問題の本質から読者の目を逸らせるような記事にするのか。それはそれで勉強になる。
ここまでくると、関係者の中から自殺者やあるいは「事故死(怪死)」がでるのではないかという悪い予感がしていたが、残念ながら犠牲者がでてしまった。実質的に更迭された佐川前国税庁長官も、見方を変えれば犠牲者の1人といえなくもない。
佐川前国税庁長官は、国会答弁で誰を、何を守ろうとしたのか…。良い大学を出て、平然とウソをつく忠誠心をもち、権力者に忖度する要領と処世術を備えていたのに、やっとたどり着いたところがトカゲのしっぽだったのか。自分など「しっぽ」になる才覚すらない。
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