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2018年6月

2018年6月25日

雨期(季)

 日本は現在、雨期(季)の真っただ中である。雨や曇天の日が多く憂鬱な日が続く。毎年のことだが、この時期は苦手だ。

 変なことに興味を持つ癖があって、梅雨と雨期はどう違うのだろうか、といったつまらないことが気になる。そこで広辞苑を調べてみた。簡単にいえば雨期は1年の中で雨(降水)の多い季節で、梅雨も雨期の1つのようだ。しかし、日本ではあまり雨期とは表現しない。ほとんど梅雨といっている。

 雨期というと、どうしても東南アジアなどで雨の多い季節をイメージする。それに対して、やはり日本では梅雨という表現が定着している。

 それにしても今年の梅雨は、ここ数年に比べると肌寒い日が多いような気がする。近年は暑くなるのが早く、5月ごろから夏日がある。その点、今年はここ数年と比べると寒い日が多いが、それでも時どき夏日があったりするので、体調管理には苦労する。昔からこの時期は心身ともに低調になるが、年齢とともにそれが酷くなってくる。それに雨の日には出不精になりがちだ。

 あと約1カ月で梅雨が明け、真夏の太陽を浴びたいと思う今日この頃である。もっとも、そうなったら暑い暑いと文句をいうことになるのだが‥‥。

2018年6月18日

大沼・函館

 先週は新潟、札幌、函館とほとんど出歩いていた。札幌は毎年のようにこの時期に行くが、今回は北海道神宮例大祭だったので中島公園も出店で賑わっていた。それにしても近年になく寒かった。

 札幌からは特急で函館に向かい、途中の大沼公園駅で下車。島巡りの路をゆっくりと写真を撮りながら歩いた。大沼湖と小沼湖を眺めながら列車で通過したことが過去に何度かあり、1度は来たいと思っていたので長年の念願がかなった。

 函館では函館山に登って360度を見渡した。函館山からの景観もさることながら、ロープウェイのさんろく駅から旧イギリス領事館の方に歩いていくと、異国情緒が漂う建物が軒を連ねていて、港町として栄えた昔が偲ばれた。

 翌日は五稜郭に行った。函館駅前から市電に乗り、五稜郭公園前に近づいたので降車ボタンを押そうとしたら、目の前に立っていた70代と思われるおじさんに「どちらから来られましたか」と声をかけられた。地元の人は降車を知らせなくても停まるのを知っているから、降車ボタンを押さないのだという。

 そこで「日野の石田で、土方歳三の生家の近くから」と言おうとしたが止めた。一緒に下車して案内するなどとなりかねない雰囲気だったからだ。先週書いた知覧の武家屋敷でも、武家屋敷のオーナーと称する人から声をかけられ、話が長くて苦労した。

 帰りは新函館北斗から新幹線で帰った。函館を20数年ぶりに訪ねたのも、1度は北海道新幹線に乗ってみようと思っていたからだ。だが、新青森までトンネルが多く、また雪除けなのだろうか線路わきの壁が高く景色がほとんど見えない。

 それにしても新幹線が札幌まで延伸したら、函館はどうなってしまうのだろうか。青函トンネルの計画段階では、距離が短いので東ルート(下北郡大間町~亀田郡戸井町=現函館市)が有力だったようだ。しかし、水深や地質の関係で現在の西ルートになったという。

 都市の栄枯盛衰も時代によってどうなるか分からないものだ。

2018年6月11日

火山灰

 鹿児島市内のホテルで打ち合わせがあった翌日、知覧の武家屋敷まで足を伸ばした。知覧の武家屋敷は10数年ぶりである。この間、鹿児島市内には何度も行っているが、知覧はアクセスの関係でなかなか行けなかった。知覧の武家屋敷は石垣などが独特で、入口の屏風岩や石敢當など、当時の琉球との深い関わりを想わせる。

 帰りの飛行機の時間があるので、午後は早めのバスで鹿児島中央駅に向かった。鹿児島市内が俯瞰できるところまで来ると、市内の上空が薄く煙っている。「風向きによっては桜島山の噴煙で大変だ」、と前日に地元の人から聞いていたので、あれは、おそらく火山灰だろうと思った。

 案の定である。バスが市街地に入ると真昼なのに薄暗い。駐車場に並んでいる自動車を見ると、屋根やフロントガラスに火山灰が溜まっている。テレビのニュースなどで観ることはあったが、火山灰で市街地がこんなになったのを実際に見るのは初めて。これじゃ赤ちゃんなどは大変だ。子供たちだって外で遊べないし、屋外では部活だってできないだろう。

 平野國臣は、「我が胸の 燃ゆる思ひに くらぶれば 烟はうすし 櫻島山」と詠んだが、それに比べると我が憂国などは、とてもとても足元にも及ばないと実感した。なにしろ、市街地でほんの僅かな火山灰を目の当たりにしただけでも、桜島山の噴煙にはとても勝てっこないと怖気づくぐらいだからである。

2018年6月 4日

週刊誌の稼ぎ時

 日大アメリカンフットボール部の反則に端を発した一連の動きは、現在の世の中の実態を実によく反映しているように思える。

 反則場面の動画を見る限り、悪質反則の域を超えて「犯罪」といってもよいほどだ。格闘技でも相手が構えていないのに、しかも後ろから攻めたりはしない。勢いあまってとはいえず、故意にやったと受け止めるのが当然だろう。問題はなぜ? そんなことをしてしまったかである。

 その点、反則を犯した選手の謝罪会見は、行為自体は許されないとしても、学生らしい素直さが窺えた。20歳の若者をそこまで追い込んだのは誰か! また、それを当然のように許していた体制にまでメスを入れる必要があるだろう。

 それに対して前監督とコーチ(その後に辞任)の会見はお粗末だ。監督は自分は反則を指示していないと責任逃れに終始し、保身がありありだった。コーチは前監督のご機嫌をそこなわないようにオドオドしながら前監督を擁護するのに必死な様子だった。
 この光景は、まるでモリ・トモ問題をめぐる国会と同じようだ。官僚は総理を守るために記憶を失ってしまう。会見を仕切った日大の広報担当者の対応からは、官房長官の記者会見に通じるものを感じた。

 いずれにしても週刊誌にとっては稼ぎ時だ。ネタには困らない。週刊誌といえば「週刊文春」は近ぢか大きな独占スクープを放つのではないかと期待している。ほかでもない、文芸春秋社が役員人事を巡ってゴタゴタしているようだ。「文春」なら、他誌には追随できないような真相暴露の記事を独占スクープできるだろう。

 いや、これは「第三者」と称しても、しょせん身内による検証には限界があるという皮肉にほかならない。

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