判断と責任
全国高校野球岩手県大会の決勝戦は、高校野球ファン以外の人たちも含めて関心を集めた。県大会で優勝して甲子園出場を決めた花巻東よりも、160キロ台の速球を投げる佐々木朗希投手を登板させずに敗れた大船渡の方が注目されたのである。
自分の体調を一番よく知っているのは佐々木投手自身だろう。だがそれは感覚的で主観的なものでもある。第三者的な立場から客観的に体調を観察しているのは国保監督である。投球練習を観ていても、ベストの状態からほんのわずかな差異でも監督なら気づくはずだ。
エースを登板させなければ勝つ可能性が低くなるのは当然である。個人的にも「甲子園出場に導いた監督」という栄誉から遠ざかることは承知の上だろう。それ以上に、批判が殺到することを覚悟しなければならない。それでも自分の責任においてエースを登板させなかったのだから、その時点ではベストの判断だったと理解したい。
このニュースが大きく取り上げられていた7月26日づけ朝日新聞朝刊の14面の「声」欄に、「『どちらとも言えない』に危機感」という12歳の中学生の投稿が掲載されていた。要約すると、世論調査で「どちらとも言えない」という回答が多いのが不思議だ。真摯に向き合った結果としてそう答える人もいるだろうが、あまり考えずに「どちらとも言えない」を選択する人もいるのではないか。「どちらとも言えない」が逃げ道になってはいないか。そう答える前に、もう一度よく考えて欲しい、という意見である。
自分も常々、世論調査で「どちらとも言えない」という回答が多いのが気になっていた。だが、中学生がこれだけの意見を持っているとは、正直いって驚いた。私見を付け加えるならば、自分の意思をハッキリ表明して不利になりたくない、という保身と打算の中で生きている人が多い。その日常的な習性が、匿名のアンケートでも「どちらとも言えない」という回答を多くしているのだろう。
そこで、世論調査のアンケートの選択肢は「良い」か「悪い」の二者択一にすべきだと思っている。回答者にはギリギリまで考えてもらって、どちらかで答えてもらうようにする。それでも判断できないという人は、選択肢にはなくても集計時には「無回答」として集計すべきだ。要は、賛否を明らかにしないで逃げてしまうようなことは良くない、ということである。
チコちゃん的に言えば「自分はハッキリ意思表示しないで、あたかもどちらにも偏らない『良識派』であるかのように振舞いながら、他人の判断を批判したりする日本人のなんと多いことか……」となるだろう。野球に限らず、先発メンバーの記入欄に、A君が良いかB君にすべきか「どちらとも言えない」と書くわけにはいかない。判断と責任から逃げてはいけないのである。
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